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心理的安全性と生産性

組織の心理的安全性の大切さについて、日本でも重要視する風潮がある。それは、出発点があのGoogleのアリストテレスプロジェクトであること、同時に集団行動の得意な日本の職場風土に応用可能そうな印象があることが起因しているのだろう。

しかし実際のところ、心理的安全性は大切だよという風に言われたとしても、それが何故大事なのかを理解し、組織運営の「メインテーマとして」組み込まれているケースはほとんどないように感じる。それは、

①心理的安全性と生産性向上の因果関係がよくわからない(関係性の質→思考の質→行動の質→結果の質と言うけれども…関係が良くなると思考の質が変わるってどういうこと、というのが具体的に分からない)
②心理的安全性から生産性向上のリードタイムが不明である(関係性の質向上から結果の質向上までどれくらい時間かかるねん…ということが具体的に分からない)
③そもそも心理的安全性の正体が定義しづらい(関係性の質が高まるってどういうこと?仲良いってこと?という疑問に真正面から答えている情報があまりない)
④心理的安全性は不要であると思う管理職もいる(適切な緊張感をもって組織は運営されるべきであって仲良し小好し集団は不要であると思っている人もいる)

あたりの要素が複合的に絡まっているためではないかと思う。


さて本noteは以後数回に渡り、その①から④に対する疑問に筆者なりの解を示し、心理的安全性の築き方について考えるものである。筆者は2020年、この心理的安全性を「メインテーマにした」組織運営を試みた結果として、配下で管轄する3つのチームをどれも事業内でトップの成果を残すチームに押し上げた経験がある。しかもどれも元々は「お荷物チーム」「コロナ禍で苦戦して暗黒時代に入ったと思われていたチーム」つまり苦戦していたチームである。着任後最長1年、最短3ヶ月で改革を進めたそれらの経験から、一言で言えば「心理的安全性を高めるだけでスピーディーに組織の生産性は上がる」と確信している。

まずは、「心理的安全性が生産性を高める(関係の質向上から結果の質向上に至る)サイクル」について筆者なりの解を示したい。①の疑問への解である。

①心理的安全性と生産性向上の因果関係がよくわからない

結論から言う。以下が因果関係だ。

負い目を見せ合える/吐き出せる安心安全の場がある→チャレンジ(行動)を許容する→失敗しても開示出来る→次はどうするに自然と目が向く→積み重ねで成果が出る→自己効力感増大→内発的動機づけ→セルフPDCA→いつの間にか成果が出る→このチームすごいとなる→更に関係の質がよくなる→チームのために頑張りたいとなる→もっと行動する(もっと質を高めた行動になる)→成果が出る→更に関係性がよくなる…

→の順にメンバーの心理や行動が変わる。なお、心理と行動には多少前後する関係性もあるし、サブループで派生して回るサイクルもある。つまり、この因果関係は簡単に言えば「好循環」であるのだ。

このサイクルについて具体的な事例を交えながら解説したい。まず最初の「負い目を見せ合える/吐き出せる安心安全の場がある」。これが筆者は心理的安全性という言葉の言い換えではないかというくらい大切だと感じている。

組織としてミッション・目標・成果を追っていく中で、大抵の組織は目標を「一筋縄ではいかないチャレンジャブルな基準」に設定しているはずである。そうすると、常にうまくいくなんてことはなく、失敗はつきものだ。また、同時に疲弊してどこかでサボりたくなる人も存在することも事実。常にサボるタイプの人でなかったとしても、たまにサボるということであれば人間だれしもが経験があるし、その習性は簡単に修正が出来るものではない。つまりは、組織に参画するメンバー(それは課長・マネージャー等の組織の長であったとしても)全員が、組織目標に対して何かの「負い目」を感じている。「やばいこれやってない」「やったけど出来なかった」「いや〜出来っこなくない難しいよねこれ」という感情である。

さてその負い目は、心理的安全性がない組織ではどうなるか。簡単である。どこかに愚痴になって吐き出されるのである。愚痴というのはすごいもので、一度吐き出されると「愚痴の蟻地獄」が形成され、組織内外の遠心力となり渦巻き続ける作用がある。愚痴の蟻地獄が形成された組織では、次のような光景が見られるようになる。

(1)組織内の公式の場(MTGや朝礼などの会)でリーダーばっかり喋るようになる

(2)公式の場では「賛同するフリ」をし、目標や実現のための策を講じるのではなく、思考停止状態からの「やろう」「出来る」という発言となり、会議も盛り上がらない。

(3)非公式に(つまりメンバー同士や社内の他組織にいる仲の良い人、または社外の知人に対して)愚痴を言うようになる

(4)次の公式の場では芳しくない進捗に対してリーダーが策を練り鼓舞をする

(5)また「賛同するフリ」をメンバーがする

(6)非公式に愚痴を言うようになる…の無限ループ

この愚痴の蟻地獄にはまった組織は、何も建設的に物事が進まない。リーダーが立てた取組みに対して実行するのはメンバーであることが多いが、そのメンバー一人一人は取組みに対して出来るか出来ないか不安を感じていたり、逆に、ひょっとしたら代替案でより秀逸なものをもっていたり、なんてことすらある。しかし、それが公式の場に出てこず、建設的に物事が進むことがないのである。

ではどうするか。先に申し上げている通りだが、「負い目を吐き出してもよいのだ」と思えるようにするのである。しかもそれが「どこでも(公式の場でも)吐き出してよい」と感じることが筆者はポイントだと考える。

当然、「ポジティブな意見」を吸い上げることはどんなリーダーでもやっていると思う。しかし大切なことは「ネガティブな意見こそ言えるようにする」ということだ。何故ならば、そこに物事が進まない大抵の理由があり、その現実に対してまずは目を向けなくては、適切な打ち手が打てないからである。

昔は、筆者自身ネガティブな意見が出てきたときの対処法が正直なところ見えておらず、ネガティブ意見が出てこないようにどう会議をファシリテーションするかに腐心していたことがあった。しかしそれでは「愚痴の蟻地獄」のループから抜け出せず建設的な意見が出てこなかった。ただある時気付いた。「人間は自浄作用を持っている」ということに。自浄作用とは読んで字のごとく「自分を清める」作用である。たとえば、悩みを話したらスッキリしたという経験はないだろうか。それはまさに自浄作用である。人間というのは、ネガティブな意見や感情を持ったとしても、それを吐き出しきったら前を向く。つまり、逆に言えば、前を向かせるには「ネガティブな意見を吐き出させること」が大切なのである。

そしてもう一つ大切なのは、吐き出しきって前を向き始めた時に、ポジティブな意見を持つ別のメンバーから(「リーダーである自分以外のメンバーから」)アドバイスが伝えられ、自然と取り組むようになったのである。

ここでは「リーダー以外から」というのが大切だと感じる。どうしてもリーダーから言われたら「上から指示されたこと」をやるということになり、(後述するが)内発的動機づけになりづらい。しかし同じ立場のメンバーから言われると説得力がリーダー以上に発揮されることもある。理由は「リーダーは立場が違うため、全く同じ仕事をメンバーと一緒にしているわけではないが、メンバーは同じ仕事をしているため、苦楽を共にしている感覚がある」ためだ。

公式の場で負い目を吐き出せることは、その自浄作用を生み出す第一歩であり、負い目を吐き出したメンバーが自分から新しいことにチャレンジをしたいという風に思える第一歩でもあるのだ。

実はこの「負い目を吐き出せる」となった瞬間に好循環のループは動き始める。最早、取組みに対してネガティブな意見があっても進化させるための砥石となるし、仮に取り組んでみて失敗してもそれを場に持ち寄るからこそ次のアクションが考えやすい。そして「やべーサボっちゃったぜ」という意見だって言える。それも勝手に自浄作用が働き「だから取り戻す」という風に言ってリカバリーをするようになるのである。つまりチームに参加しているメンバー全員のやること為すこと全てが「改善」に向けて動き出す。

こうなったら非常に強い。全てのアクションが改善に向けて動き出す、というのは「みんなでこうしたらうまくいくよ!」の共有が激しく行われるようになるのだ。そして、その共有は自然な流れの中で出てくるものであり、相互にノウハウを「パクる」効果が高くなる。それを実行して成果が出たら(成果が出なくても)メンバーはお互いに共有をする。共有をすると喜び合い/悲しみを分かち合い、さらに改善行動に精を出す。そしてまた成果が出て、いつの間にか自己効力感が上がる。

そうするといつの間にかチームのことも好きになっており、これまでは開示をされてなかったような内容の更なる共有もされ、より一層関係性が濃くなるのである。

こうなると、「管理」の概念は薄くなり「チームを創る」という概念の下で、自分が想像しているよりも遥かに高い次元に組織の成果が出始める。


次回では、②③④について記したい(その後、どうやって心理的安全性のある組織を作るかを記す予定である)。


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