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語るという行為の中のスピード感~語られる自己⑥

ここまで語られる「もの」(内容)についていろいろと述べてきたわけですが、ここからは語ることそのものについても考えてみたいと思います

ちなみにこの辺りのことは、2001年というからもう20年も前に出版された「ナラティヴ・セラピー入門」(高橋規子、吉川悟、金剛出版)によるところが大きいです。むしろそちらを読んでいただいた方が良いくらい。
なにせここに記していることは、こうした専門家や諸先輩方が考え、書籍や論文にまとめられたものを、私が読んで「こういうもんじゃないの」という認識のもとに、やはりそうだよねと思えるように紐付けて書いたものですから、全然違った話になっているかもしれません…

語るという行為はこの本の中でも取り上げられている外在化のプロセスに他ならないと思っています。もちろんその人の内(うち)をどれほどまで外在化しているか、その程度はその人がおかれている状況に左右されていますし、もちろんその人の意思にも左右されます。そして、それをどれほど適切に受けとめているのかは、問い返してみないと分かりません。ただ、その問い返すという作業そのものも、問い返す人の内を外在化することになりますが、このことはまた回を改めて考えたいと思います。

例えば「私、あんこが好きなの」。
二人の男女の前に2匹のたい焼きがあり、一方がクリーム、もう一方が餡であるときにこの言葉が発せられたのであれば、これは「クリームと餡であれば、餡の方が好きだ」ということになるでしょう。
一方、「もしあなたが人生の最後に口にする食べ物を決められるとしたら、何にしたいですか」という問いの後であれば、これはかなりのあんこ好きか、はたまた餡にかなりの思い入れがあるであろうことが分かります。
しかし、「一緒に生活するなら食べ物の嗜好はあっている方がいいよね」という会話の後で、「僕はね、たい焼きといえばクリームが好きなんだ」という告白に続いているのであれば、「あなたとは一緒に生活できそうにない」ということが暗に(餡に?)秘められていることが推測されます。
あんこが好きという言葉は一つではありますが、そこに込められるものは前後の文脈や、おかれている状況によって大きく異なってくることが分かります。逆に言えば、そうしたことを考慮に入れて言葉を発しているともいえるでしょう。言葉を発するに当たっては、さまざまな検討がなされた後になされるものと思われます。

とすれば、先の3つの事象において発話された「私、あんこが好きなの」にも、いろいろと違いがあったように思われます。もちろんそこに伴う表情や仕草、声音もあるのですが、ここで注目したいのはその反応時間ともいえるものです。
「言下に否定する」という言葉があります。言い終わるかどうかという短さの内に否定することをいいます。例えば、2匹のたい焼きがあるという最初のシチュエーション。「どちらでも好きな方を選んで良いよ。早い者勝ちだね」という状況で、本当に餡好きであればかなり素早く反応するでしょう。また、2番目の状況でも、心に決めているくらいの餡好きであれば迷うこともないでしょう。3番目の状況は餡が好きかどうかというよりはむしろ、その人に好意を寄せているどころかむしろ距離をとりたいと思っているのであれば即答したと思われます。つまり、答えが決まっていれば、反応速度は早いのです。そこにためらいや逡巡、あるいはなにがしかの算段といった「考えること」があると応えるまでには時間がかかってくるでしょう。もしかすると応えられないということさえ生まれるかもしれません。

会話が弾む…これは良いことのような気もします。しかし、このように考えてみると、ポンポンと会話が進むとき、はたして内の世界では「考える」ということが行われているのでしょうか?
会話のテンポが良くなる条件の一つに、パターンに沿っていることがあるように思います。「おはよう」と言われて「おはよう」と返す。「元気にしてる?」といわれれ「はい」と返す。毎朝の習慣であればあっという間です。これが見も知らぬひとからの声かけであったり、ふだんは仏頂面で自分からは挨拶しないような横柄な上司だったりすると、驚いたり「何か裏があるかもしれない」とおもったりして、ついたじろいだりして返事が遅れてはしまいませんか?
内容が深刻ではない他愛ない話のときもテンポは速くなりそうです。ここにいない人についてあぁだこうだと茶飲みばなしで盛り上がる時なんて、けっこう無責任に発言していたりするので、テンポは良くなります。そこでいちいち考えていたりすると「ノリが悪い人」「なに?自分だけ良い子ぶって」とかと言われてしまいます。深く考えずに合わせていくのが一番の対処法だったりします。
そして、そこでの表現が「ありきたり」であったり「使い慣れたもの」であったりした場合もテンポは速そうです。しっくりくるような表現をしようと思うと、言葉を吟味したりそれが自分の本音にあっているかという照合作業が必要になりますから、時間がかかりそうであることは容易に想像出来ます(他者との比較ではなく、対自分比で考えて下さい)。最近よく耳にする表現も、思い起こしやすいという意味でテンポアップに貢献しそうですね。

逆に相談事などは、一言ひとことじっくりと言葉を選びながら話しますから、その速度は遅くなります。最初の内は「もう!! 本当にやになっちゃう!!! 聞いて下さいよ!!!!」とまくし立てるように始まったことが、話が進むにつれて「でもねぇ…そう、あのときはね…そうだよねぇ…」といったようにぽつりぽつりと、話しながら考えているような感じになっていきます。話のペースが遅くなるのは、それだけ考えているからと捉えることができるのではないでしょうか? まさに、外在化するためのプロセスが濃厚(?)になったからと言えるのではないでしょうか?

逆は必ずしも真ならずではありますが、この会話のテンポはその人の外在化の程度を反映していると考えることはできるのではないでしょうか?

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