ママが家に戻ってくる前に書いたもの

以下、母が戻る前に取り急ぎ書いたものです。
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皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

さて、母、〇〇〇は、施設入居してから三年経過しましたが、先日、現在の施設から、「摂⻝障害が重くなっ てきているが、ただでも数少ない職員が毎回1時間かけて⻝介をすることは困難であることや、排尿の間隔が⻑くなっているが専門病院に連れていく選択ができない」と伝えられ、施設の形態から医療が絡むいろいろな制限があるらしく、退室が決定され、療養型病院、つまり、死ぬために入る場所を勧められました。

現在お世話になっている施設では、看取りまで面倒を見てくれる約束があり、その前日まで、「その傾向は あるが、変わりなく過ごしている」と報告を受けていたので、寝耳に水でしたが、頼りにしていた相談員さ んが一ヶ月お休みをしている間に、今回のことが起きました。

私は、今までの10年もそうでしたが、このようなときでさえ、全て一人で抱えなければならないので、とても不安になりました。 いくら認知症が重度になっても、私には変わらない愛するママですし、ママの心のために人間らしく過ごせる 環境が必要であることを思うと、療養型病院に入れることに抵抗があり、親切な療養型病院の先生ともお話をし、やはり療養型病院は行き先が違うという方向性が見えてきました。

こういった特別な状況ですので、ママの様子を施設のズームにて少しだけ見せていただきましたが、職員数が少いないときは十分に⻝べさせてもらっていないとのことで、非常に痩せてしまっており、表情も作りにくくなっており、声も出にくくなっており、今にも死んでしまうのではないかのように見えたママでしたが、私を見てしばらくすると私だと認識でき、小さくなっていた目に光を取り戻したかのようになり、小さな笑顔を見せてくれて、前のめりになり、唯一動かせる左手を私の方向に伸ばそうとしてくれました。
そんなママを見て、「まだ生きようとしているのに、あえて死に向かわせる療養型病院に入れることは、どうしてもできない」「コロナ禍で私に会えないまま、一人寂しく逝かせられない」という思いが固まり、職場復帰した相談員さんの前で、久しぶりに大泣きをしました。

私は私で、何か手立てはないかとあらゆる機関に連絡しながら模索していましたが、後日、その相談員さんが、「施設としては限界があるので退去の方針を変えられないが、〇〇〇さんは十分に在宅介護を受けられる状態である」とおっしゃり、ミーティングを開いてくださり、私は在宅介護の再開を決めました。
それはまだ先週の金曜日のことですので、ママが帰宅する今週の土曜日に向けて、期待と不安が入り混じり、実にいろいろとやることがあり、慌ただしくいろいろな準備を進めています。

今まで、コロナ禍でママとまったく会えなくなってからの寂しさを紛らわすために、まるでママが家にいるかのように、また、一緒に買い物に行っているかのようにママに話しかけながら過ごしていましたが、コロナ禍で会えない間にママが死んでしまうようなことがあったら耐えられない思いが募っていました。
日々母を思い、祈り、絶対にまた一緒に住める、使い慣れた家のいろいろをもう一度母に触れさせたい、天に召されるときが来ても、一人では逝かせないと宣言してきました。
しかし、何度シュミレーションしても、やはり一人では在宅介護は不可能だという結論に至っていたので、私の一番の希望は、コロナ禍前のように、「今の施設のようなところに入居しているママを私が面会をし、職員さんたちが助かるとおっしゃる介助をお手伝いしながら母と時間を過ごすこと」でした。

しかし、退去が施設の方針であると言われてしまえば、仕方がありません。以前の在宅介護同様、決してひとりで抱えてはいけない在宅介護、私が疲弊するのはわかりきっています。
それでも、「明日はどうなるかわからない」からこそ、「今」を大切にして、最愛の母のために最善を尽くし、「できないこと」だからこそ、「できる」と信じて進んでいくことを選びました。


そこで、施設でも自宅でも、感染予防対策は同じですので、皆さんを自宅にお入れすることもできませんし、以前も同じでしたが、介護中の家はおもてなしできる状態ではありません。
窓越しでママを見ていただくことができますが、外は寒いですし、親族であっても、どんなに遠くから来たからと言われても、どんなに懇願されても、自宅にお入れすることもお手洗いをお貸しすることもできませんし、ママが自宅にいないこともありますし、寝ていて顔が見えないこともあります。

私は以前の在宅介護時と同じく、1人で介護を抱えております。ママが何かに感染したら、とても大変なことになります。また、私が倒れたら、ママも倒れます。万一を考え、感染予防対策だけではなく、徹底しなければいけないことがたくさんありますこと、どうかご理解ください。

つきましては、お気持ちを察し、皆さまにはズームやLINEビデオなどでママに会っていただけたらと思います。
やり方は、若い方に聞いていただき、ご自由に入ってきてくだされば、ママが見られるようにいたします。 ライン等でIDをお送りいたしますので、まずはご準備ください。 皆さまには、ラインで繋がってくださると、これからもすぐに連絡ができるかと思います。

この3年で、施設に入ったママは、お世話になった部分だけではなく、ここでは申し上げることができない数々の大きな犠牲も払いましたが、私は、見た目ではわからなかった介護鬱が少しづつ癒され、もともとの元気が戻ってきたところでしたので、私はママの「生き方」と「逝き方」を考えるとき、またママと共に住むために元気になったのだと思いました。

以前の在宅介護時と同じく、私は仕事をしながら、日々の家事をこなしながら、自分の時間を削って母の介護に当てていくことになりますが、以前とは異なるプレッシャーを抱えていく事になります。
ママが施設や病院に入っていても、在宅介護でも、私が潰れれば、ママも潰れてしまう現状がありますので、皆さまからの「理解」「親切で優しい言動」のご協力が、絶対的に必要となります。

ただただ「ママと共に一生懸命生きている私」をご理解くださるよう、お願いいたします。
今年の初めにお手紙をさせていただきました通り、⻑期に渡り、ママと私の生活の一部も見たことのない人々から、私にとって衝撃的な言動が繰り返し受けてきたことにより、専門的に言えば、私は眞子さまと同じ PTSDを発症するようになってしまっております。

調べればどこも悪くないのに、どうして、急に高熱が出て、血圧が上がり、脈が薄れ、胃腸が激しく炎症を 起し、心拍が上がり、一時的にいろいろな身体機能が低下するような状態に陥り、数日間仕事ができないような状態になるのかわかりませんでしたが、やっと最近PTSDであることがわかったのでした。

私は、前身する力を日々受けていますし、普段は明るく元気ですし、PTSDは同じような衝撃が繰り返されることによって体調不良になってしまうだけで、日常生活に支障をきたすような病気ではなく、同じような衝撃が繰り返されなければ大丈夫な症候群ですので、メンタルが弱いわけではないし、打たれ弱いわけでもありませんし、恐れがあるわけでもありませんので、誤解されないようにお願いいたします。

ただ、ママは1時間半かけて食べさせる施設はどこにもありません。私が食べれれば、ママは空いていると言うだけの施設が病院に送られてしまい、その先程は決まってしまいます。ですから、私はちょっとした風邪でもPTSDでも何でも、倒れるわけにはいかないことをどうぞご理解ください。

特に、とても大変な介護中に、⻑年に亘って受けてきた数々の衝撃は、その場では耐えていても、知らず知らずのうちに、心身に相当なダメージを与えていたため、皆さんが想像する以上に深刻です。
何度も訴えてきた通り、認知症介護を一人で抱えるしかなかった私にとっては、ママと私の生活の一部も見たことのない人々の、「理解のある親切で優しい言動以外の言葉」は、攻撃でしかありませんでした。
悪気がある人は誰もいませんし、私は誰をも責めるつもりはありません。特に、認知症介護は、介護者が理解されないことが問題となっていることも、事実です。

ただ、ママと私の生活を守るために、これ以上それらを受けることができませんので、どうかご理解ください。

過去にとらわれるのではなく、同じことを繰り返さないために、私が受けてきたことを、具体的に申し上げます。
• ママと私の生活の一部も知らない人々同士が、私と一度もコミュニケーションを取ることなく、私の虚像を作り上げて、現場にいる人間からすればまったく理解していない内容で、正そうとする、説教する、責める、怒鳴る、嘲笑う態度をする、罵る、幼稚な口調で戦おうとする、私の知らないところでママと私の人生の重要事項を勝手に決定する、少しでも助けてもらいたくて私が何度SOSを出しても、無視するか、次から次へと私を責める材料を探されて責めるか、攻撃的な言動をする、和解だけを求めている私に和解するつもりはないと言い続け、一度も介護に携わったことも何十年も我が家に近づいたことのないにも関わらず、現場で長年母を介護してきた私から情報を得ようとせず、私の知らないところで、 介護者で責任者である私を飛び越えて、身勝手な言動をとり、突然ママと私の生活と介護の現場がメチャクチャにする、
• 「お母さんはおかしくないわ!あんたがおかしいわ!」「お母さんを大切にしないかんよ」「あんたが庭を取り上げたでお母さんが悪くなったんだわ」「お母さんを愛しすぎるでいかんのだわ」「娘と住む親は認知症になる」「やりすぎだわ」「神経質」「あんたが苦労かけたで認知症になったんじゃないのか」などの、事実に基づかない残酷な言葉を言うかうわさを流す
などが、⻑期に亘り、実際に私が受けてきたことです。

慈しみの心で大切な人を守るために、一生懸命がんばっている人間に対して、絶対に言ってはいけない言葉というものがありますが、誰も悪気はありません。ただ、認知症在宅介護は、実際に体験しないと、いくらわかると言ってもわかっていないことが、体験者にはわかるのです。わからないのならば、現場にいる人間を信頼して理解しようとしなければなりません。

私に限らず、周囲の理解と健全なコミュニケーションがないことで、実に多くの介護者たちが孤立を余儀なくされており、悲しい結末を選ばざるを得なくなる現実があります。

悪気がなくても、生活を共にしていないのであれば、生活を共にしていない人々の情報を信じるのでも、想像を使うのでもなく、大切なのは、眞子さまも言い残しておられた「互いに支えられる社会になるように祈り」、理解しようとするお気持ちで、介護者であり責任者である私と健全なコミュニケーションを取ることだと信じています。

ですから、今回の在宅介護が守られるため、どうか、親切な言葉で、私が皆さんを支配すると言う意味ではなく、私の言うことを明るい気持ちで聞いて守ってください。

娘の私にとって、ママはとても大切な人、とても愛しい人です。当然母を守りたい気持ちだけで、次から次へ変化する母を見るショックや前方から飛んでくるいろいろな障害物と戦いながら、毎日火事場の馬鹿力を発揮している状態で前進していました。

優しいご理解のある皆さんにおきましては、どうか一生懸命頑張ってきた私を理解していただき、どうか以上に書いたものから母と私が守られるよう、悪化しますので、どうかこれらに同調してしまわないようにお願いしたいと思います。

また、知らずにあるいは悪気なく、以上のことをしまっていた人々自身が癒され、愛と理解のある親切で優しい言葉で接してくれるのなら、私のPTSDは癒されていきますし、人生の後半や最期のシーズンに、昔のように仲良く過ごせることを望みますので、こうしてお知らせしております。

追記として、繰り返しますが、一言で認知症と言っても、いろいろな種類やレベルがあるものの、ママの場合は、長く母と付き合いのある人でさえも、特に、内部疾患である認知症の初期から中期は、数時間ママと外で過ごしても、ある程度のことは理解できても、本当には認知症やその介護のことはわかりません。
5分でも放置していくと、何をしていいのかわからずおかしな言動をとってしまうのがママのタイプの認知症 でしたが、おかしな言動をとってしまうだけであれば良いのですが、その放置された時間に、本人がとても混乱して認知症が悪化しますし、顔からの転倒や異⻝などの危険なことをしてしまいますので、一つ一つ導いてあげることが必要でした。
私は、介護自体ではなく、周囲の理解を得られないことで疲弊していましたので、周囲に理解してほしい心理が働き、ママに対して言い方がキツくなることもありましたが、それでも、天から力を得ながら、ママが混乱しないように一つ一つを導き、いろいろ取り上げられていってしまう認知症ですが、できるだけママの好きなことをしてもらい、お金を使わないように工夫しながら二人でお出かけをし、認知症の進行を遅らせるため、ママの平安が保たれるため、認知症の進行を抑えるあらゆる工夫と努力を重ねてきました。

ママも一人になってしまう私のためにがんばってくれていますので、 現時点におきましても、当初医師から伝えらていた余命をはるかに超えています。
誰にでも、天が定める時というものがありますが、私たち人間側の理由でその時よりも早まらないよう祈りつつ、努力を続けております。

そして、施設でも承諾書を書かされますが、「高齢で病気もあるため、突然死することもあり、救急搬送しなければならない事態も起き得るし、介護事故もあり得る」ことは、自宅でも同じです。
そこで、まず、万一のときは、私が自分で自分を責めない心構えをすることと、同時に、親族やご近所さんにも、私を責めない約束をしていただくことが重要だと強く感じております。
それは、私をサポートする介護医療関係者の皆さまにもご同意していただいていることです。

今回は、以前のように徘徊するわけでもなく、次に何をするかを一つ一つ導かなくても母が混乱して認知症が悪化するようなこともなく、急に不穏になるママをなだめるようなこともなく、常にどこかに連れ出していなければならない状態もないので、その部分で生じる私の疲弊はありません。
しかし、今回は、全介助が必要な状態で、栄養も十分に取れず、体力も低下しているママですので、介護や医療の方々に入っていただき、いろいろなサービスを利用するにしても、今は動けるヘルパーさんの数も少なく、経済的制限もあり、まだ慣れていない移乗も、栄養を考えた特別⻝の用意も、時間のかかる⻝事介助も、排泄のお世話も、口腔ケアも、マッサージも、体温管理も、空調管理も、以前の在宅介護時以上の労働と配慮が必要になりながら、私が一人でこなしていくことになります。

感染予防対策の事を言うと嫌う人がいますが、自宅だからこそ、甘んじることのない、今まで以上の徹底した対策が必要となるので、私は嫌われても申し上げなければなりません。そして、私が倒れないように、つまりママが共倒れしないように、説教される、数人から責められる、理解されず孤立させられるなど、心の平安が乱されることは避けなければなりません。

もしかしたら、すぐに私が無理になってしまい、やむを得ない場所にママを移動させなければならなないこともあるかもしれませんし、別の道が開かれるかもしれません。
それでもママが愛する自宅に戻れることは、ママにとってとても大切なことだと信じております。

ママをガラス越しに見にきてくださる場合は、どうか、親切な言葉と笑顔で、和気藹々とした雰囲気で、ママを見にきてください。
そうしてくださることで、皆さまに見守られている安心感で、私は一人ではないんだと思えて頑張れます。

「ご理解によるご協力」をありがとうございます。

皆さまにおいても、お健やかでありますように。
God bless you!

〇〇〇と〇〇〇

よろしければサポートお願いいたします!正直生活がギリギリですので、とても助かります!いただいたサポートはママと私の生活のために使わせていただきます!