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鬼滅の刃と満月 ”那田蜘蛛山編”が凄すぎる、という話

こんにちは。

カナタ、燈子、青葉について考察するつもりだったのですがその前に鬼滅の刃における「満月」について説明しなくては筋が通らないので、「満月」との関係について考察しておきたいと思います。
今回は那田蜘蛛山編の満月について、です。

(断定口調で進めますが今までのnoteも含め全て超個人的な見解なので、さらっと読んでいただければと思います。あくまで個人的な考察です)

鬼が現れる“夜”を象徴するのが“月”です。
鬼舞辻無惨の血の注入に耐えた強い鬼を「十二鬼月」と呼んでいることから“月”と“鬼”との関係も深いと考えられます。

月が輝くのは太陽の光を反射しているからです。
古典や物語において、この月の特性光を反射する「鏡」と結び付いていったようです。

検索してみたら鬼滅の刃だけではなく、さまざまな作品で「月」は「鏡」の象徴として扱われてきたみたいです。
そして「鏡」は左右が逆に見えることから「逆の世界を映し出す」ものとして書かれています。(他にも「鏡」にはいろんな意味があるそうですが割愛します)

(余談;”鏡がなぜ左右反転して映し出されるのか”について学術的に明らかになっていないそうです。現代でも未だに「鏡」は謎に包まれているんですね…)

以前のnote「伊之助と禰豆子との関係」で、このふたりは「鏡に映った自分自身である」と考察しました。

(よかったらこちらをご覧ください→)
https://note.com/care03mi_turalna/n/n84045310c398

既にお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この「鏡」とは「月」のことです。月は月でも「満月」であることが重要だと思います。

鬼滅の刃は“古事記”や“神道”などがモチーフとなっていて
その中に出てくる三種の神器、「草薙の剣」「八咫の鏡」「勾玉」もモチーフとして鬼滅の刃の物語の中に織り混ぜられている、と個人的には思っています。

「八咫の鏡」について以下Wikipediaより引用します。

一般に「八咫(やた)」は「八十萬神」「八尋大熊鰐」「八咫烏」等と同様、単に大きい・多いという形容であり具体的な数値ではない、とされているが、咫(あた)を円周の単位と考えて径1尺の円の円周を4咫(0.8尺×4)として「八咫鏡は直径2尺(46センチメートル (cm) 前後)、円周約147cmの円鏡を意味する」という説も存在する。

「三種の神器」は天皇ですら実物を見たことがないそうなのでどんな形をしているのか不明だそうです。

ですが鬼滅の刃では21巻、縁壱の母である朱乃が太陽の神様(神道に関連あり)にお祈りを捧げているコマには丸い鏡が描かれています。
なので「丸い満月」でないと鏡のような神秘的な力は起こらないのではないか、と個人的には思っています。

鬼滅の刃では三日月の日もありますが、三日月の日は「鏡」として描かれておらず、「満月」の日だけ登場人物が鏡のように映し出されています。

まず那田蜘蛛山編ですが、炭治郎たちがこの山に入った日は満月です。
この日が満月であることは胡蝶しのぶによって「今夜は月が綺麗ですね」と“強調”されていますし、いろんなコマで満月が描かれています。

伊之助と禰豆子との関係は以前書いた通りです。

それから炭治郎と善逸も「鏡」の関係で描かれています。
炭治郎は禰豆子を守るために鬼(累)と闘いましたし、善逸ははじめ怖くて山に入れませんでしたが(炭治郎もはじめ恐ろしくて「体が竦んだ」と伊之助に言っています)禰豆子を守りたいがために山に入って鬼(蜘蛛兄)と闘っています。
さらに死の淵で炭十郎の言葉を思い出したり、じいちゃんの言葉を思い出すことによって「死」を回避しましたし、善逸は鬼を倒したあと仰向け状態、炭治郎が鬼を倒したあと(実際は倒せていませんが)はうつ伏せ状態です。
うつ伏せになった床がもし鏡だったら仰向けの自分が映ります。

さらに炭治郎は下弦の鬼の累とも鏡の関係になっています。これについては長くなるので別の機会で書きたいと思います。

そして冨岡義勇と胡蝶しのぶも鏡の関係です。
1話で義勇が禰豆子を殺そうとしたようにしのぶも禰豆子を問答無用で殺そうとします。(時間軸がかなりずれていますが)
那田蜘蛛山で義勇は2年前の自分(しのぶ)と闘っていることになります。
そしてしのぶはお館さまの屋敷では「人も鬼もみんな仲良くすれば良いのに」と言っているのに鬼の禰豆子を殺そうとします。
つまりしのぶも、鬼と仲良くしたいと思っている自分(義勇)と闘っていることになります。
義勇もしのぶも“自分自身”と闘っているかのようです。

満月はその人の「逆の世界」を映すと共に「二面性」、あるいは「矛盾した自分」をも映し出すのかもしれません。

しかしキャラクターの外見としゃべっていることだけで判断しようとすると、まるで義勇としのぶの中身だけ入れ替わったようにも見えるのも面白いですね。

栗花落カナヲは伊黒小芭内と鏡の関係にあると個人的には考察しています。
カナヲは木の上から炭治郎の背中に飛び降りて、さらにかかと落としを食らわせており、炭治郎は顎を地面に打っています。
小芭内の初登場は木の上です。46話“プイ”では既に小芭内は木から下りていますが、炭治郎の背中を肘で突いて炭治郎はまた地面に顎をつけさせられています。(炭治郎の扱いが可哀想ですね…)

満月と那田蜘蛛山編については以上です。

毎回言いますが、吾峠先生が凄いですし、鬼滅の刃は凄いです。物語が緻密過ぎて凄いです。それしか言えません。

凄すぎてむしろ恐ろしいです…。

この鏡の関係は最終回にも繋がっていると個人的には思っています。
次回こそカナタ、燈子、青葉について書きたいと思います。

読んでいただきありがとうございました。

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