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【苦手な英語】How are you? / I’m fine, thank you.

現在の中学英語の教科書にも、
”How are you?”
“I’m fine, thank you. And you?”
というやり取りは、未だに生き残っているのでしょうか。

朝の挨拶2往復

いきなり余談ですが、アメリカに来てからというもの、”How are you?”と訊かれたことは一度もなく、皆”How are you doing?” もしくは “How’s it going?”と訊いてきます。
(ちなみに無理矢理カタカナに直すと、それぞれ”ハュドゥーイン”、”ハズゴーイン”と聞こえます。”are”とか”it”の音はほぼ搔き消されます)

これらの意味は”How are you?”と同じなので、「How are you?、なんて誰も言わねえじゃねーか!」と、もう20年以上も前に習った英語の授業に怒りの矛先を向けるつもりはありません。

実際どれだろうと同じことで、とにかく私はこの挨拶が、アメリカで4年半過ごした今でも苦手なんですよ。

出社時。日本の職場でなら、以下のやり取りで済んでいました。

私: “おはようございます”
同僚: “おはようございます”

以上。シンプルで無駄がありませんね。

一方アメリカでの朝、同僚に会った際の流れはこうです。

私: “Good morning.”
同僚: “Good morning. How are you doing?”
私: “I’m great. How are you doing?”
同僚: “Good.”

挨拶2往復です。日本の挨拶には存在しないこの2往復目のやり取りで、いつもリズムが狂うのです。相手の調子をわざわざ訊いていますが、そんなの顔色を見ればだいたい分かるじゃないですか。

やり取りの回数を減らそうと先制How are you doingを仕掛けても、

私: “How are you doing?”
同僚: “Good. How are you doing?”
私: “Good”

ご覧の通り、高確率で無駄な1拍が生まれるのです。なので挨拶の時に”How are you doing?”と訊いてこない人に会うと、もはや心の中で感謝する始末。

挨拶の意図と抵抗感

どういうつもりで”How are you doing?”もしくは“How's it going?”と訊いているのか、以前友人に尋ねたことがあります。すると、そこには純粋な挨拶としての意図しかないとのこと。

つまり、GoodとかGreatといったポジティブなレスポンスしか期待されていません。それゆえ、”I'm not so good”(そんなによくない)とか、”I’m getting sick”(ほぼ病気)とか返答されると、ギョッとしてしまうそうです。”いや別にそこまで個人的なことは訊いてないんですけど”、と戸惑ってしまうと言っていました。「おはよう」と言ったら、「いや、そこまで早くないですよ」と返されるようなものでしょうかね。

ええー? じゃあもう”Good morning”の1往復でいいじゃんかよ~。

普段、同僚より早く出社する私は、大抵彼らが顔を出す頃には既に仕事モードに入っているのですが、それをこの、挨拶2往復が搔き乱します。しかも月曜朝や休暇明けだと”How was your weekend/vacation?”と休日の過ごし方に関する質問が加わり、仕事は強制的に中断、数分間の雑談を余儀なくされることになります。

加えて以下のようなケースもあります。

通路に面した席の同僚が、たまに私より先に出社することがあります。この時、彼のデスクを過ぎざまに”Good morning.”と挨拶すると、彼が”Good morning. How are you doing?”と返してきます。しかしその瞬間、既に私は彼のデスクを通り過ぎています。私は歩くのが速いので、車同様、急には止まれません。彼のHow are you doingは置き去りにせざるを得なくなります。(いや、Goodくらい言えばいいんですがね。なんか感覚的にタイミングが合わないのです)

応答のなかった挨拶が宙をさまよい消えたとして、彼がそこまで気を悪くするとは思いません。何故ならこれは、ただの習慣的な言葉なのだから。

いや待てよ。Good morningの交換は済ませたとして、How are you doingに応じなかった場合、やはり「おはようございます」を無視する程度のインパクトがあるのだろうか…?

だ、だ、だとしたら、俺は…。

とにかく。かけられた言葉に応じなかったという、自分の中の罪悪感が辛いのです。出された食事は残さず食べる。かけてもらった言葉には残さず応答する。私の中のそういう義務感こそが病巣なのでしょう。病巣と言うか、結局はちゃんと挨拶しろって話ですが。

オチのない結論

日本の職場とアメリカの職場、どちらが明るく人間的な職場かと言えば、それはもちろん後者です。その職場で仕事を中断するのが嫌なら、挨拶など無視して、黙って仕事を進めれば良い。それを、人間関係を重視したほうが結果的に得だしハッピーと判断し、郷に入っては郷に従い手を止めているのは他ならぬ私自身です。アメリカの挨拶文化に物申す資格など最初からない。

よってこの話に、特にオチはありません。単に、私がアメリカの挨拶文化を未だに取り込めていないというお話でした。

話は逸れますが、アメリカの職場のほうが、圧倒的に自由で働きやすいです。一度こちらでの働き方を知ってしまうと、日本の職場など考えただけで憂鬱になるし二度と帰りたくない、と思うほどにはこちらの環境を気に入っています。

恐らくこちらの習慣として、”相手の様子を気遣うこと”までが挨拶の中に組み込まれているのでしょう。空港や街中で、見知らぬ相手同士がふとした拍子に何気ない言葉を交わして笑い合い、そしてすぐに互いの行先へと向かってゆく様子は何度も見ています。

その一方で、他人の服装や髪型、デスクの使い方などには、驚くほど寛容あるいは無関心です。実際、そのほうがいいと私は思います。無論、職場の服装に関して言えば規定はありますが、口うるさく言われるようなことはなく、言われなくても皆節度をわきまえています。日本で勤めていた職場はと言えば、中学校かよと思うような服装の規定が事あるごとに通知されていたし、デスクに家族の写真を置くことさえ禁止されていました。社員の自主性や良識を信じず、とにかく縛り付けようという思想が垣間見えます。あの頃は当然だと思っていた規則&規則の雁字搦めに、今となっては狂気さえ感じます。来年帰国だし、そしたら私もアメリカで鳴らした中堅社員ということになるわけで、何とかできねえかなァと思う今日この頃。

まあ、こちらはこちらで、良く言えばおおらか、悪く言えば雑でいい加減という事例も溢れているので、あまり手放しで褒めるのもどうかという部分はあるんですけどね。

それでも、気遣いの習慣と個人を尊重する思想のバランスは、きっと上手く取れているのでしょう。自由で、他者を無理矢理縛ろうとしない。素晴らしい文化です。

朝の挨拶を除いてですが。

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