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親切な紳士と、ペイ・フォワード

こんにちは。Cardinal-Manです。
本日「え? なんで?」というような親切をスーパーで受けたので、ここに記録を残します。

私はこちらでカポエラを習っています。先生は毎週無料でクラスを開いていて、まさか無料で武術を教えてもらえるとは!と興奮した私は、できるだけ参加するようにしています。

しかし本日、現場に到着しても誰もいませんでした。あれ?と思い先生に連絡を取ると、「ごめん! 今日は家の塗り替えをしているからクラスはキャンセルにした」という旨の連絡が届きました。

Oh, Really? 片道1時間かけて来たんだけどなーと思いつつ、こちとら無料で技を教えてもらっている身です。それ以上は特に思うこともなく、そういうこともありますよね、じゃあまたお願いします、と交信を終了。

とは言え、そのまま再び1時間かけて帰るのも虚しく、私はすぐ近くに住んでいる友人に会えないものかと連絡を取りました。幸いにも友人は私の訪問を快諾。しかしいきなり手ぶらで訪問するのもアレだよなと思った私は、目の前のスーパーに入り、お茶のボトルを2本携え、レジに向かいます。

しかし。計3.68ドルの会計を支払おうとクレジットカードを読み取り装置に入れるのですが、端末には何度やっても”拒否”の文字が現れます。このキャッシュレス社会において、私の手持ちの現金は3ドル。さすがに少なすぎましたが、後の祭りです。じゃあお茶は諦めて手ぶらで行くか、とお茶を返しに行こうとすると、私の後ろに並んでいた白髪の紳士が私を止めます。

結論を先に言うと、彼が私のお茶を買い、それを何故かくれたんですよ。

最初、お茶を棚に戻しに行こうとする私をとどめて、彼は「私がそれを買う」と言いました。え? ああそうなの? お茶欲しいのかなと思い、返しに行く手間が省けたと思った私は「ありがとう」と告げ、その場をそそくさと立ち去ろうとしました。するとレジの女性が私を呼び止めて言うのです。

「待って。彼はあなたにこれを買った」

は? なんで? 

意味が分かりません。「いや私は大丈夫です」と言うのに紳士は「いいから」と支払いを済ませてしまいました。せめて手持ちの3ドルだけでも渡そうと、「現金これしかないんですけど」と渡そうとしても、要らないの一点張り。彼も私もマスクを着用していて顔全体を見ることはできませんでしたが、優しい眼差しの老紳士でした。

私はお礼の言葉を言うばかりで、何ら具体的なお礼もできないままその場を去るしかありませんでした。そして私は、友人に無事お茶を渡し、しばし談笑することができたのです。英語も色々と教えてもらいました。

それにしても、こんなよく分からない東洋人がレジでクレジットカードのエラーを出しまくっている様子を見かねたのだとして、それが3、4ドル程度の額だったとして、それじゃあと金払ってくれるっていうのは普通なんですかね。普通のわけがない。

俺が、それほどまでに惨めでかわいそうに見えたのか?というひねくれた見方は、今ここでは封印します。受けた恵みに対してそんな風に邪推することに、メリットなど一つもないのでね。

さて、こちらに来てからというもの、周囲の人から優しさをもらう機会にとても恵まれています。挙句、こんな風に全く知らない人にまで親切にしてもらってしまった。

以前、尊敬する友人夫婦は私と妻に言いました。

「私たちも昔国外に住んでいた頃、現地の人たちにとても優しくしてもらった。同じことを君らにもしているだけだ。だから君らも他の誰かに、いずれ同じようにしてあげれば良い」

人から貰った優しさを、別の誰かに回してゆく。
このことを、”Pay forward”というそうです。

私としてはやはり、受けた”借り”は、貸し手に返したくなるのが心情です。
しかし今回みたいに見ず知らずの誰かから受けた恩は、本人に返す術がありません。

“Pay forward”ですね。分かりました、私もやります。そう改めて思った日曜の午後なのでした。

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