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デリバリールーム感想および西尾維新の問題意識についての妄言

1: デリバリールーム読みました

このページを開かれた皆様におかれましては日々ご健勝のことをお祈りいたします。というのを言ってみたりとかして、今日のこの場では西尾維新の持つ問題意識とデリバリールームの感想と妄言について語らせてもらいます。前回もそうでしたが、未読の方にはネタバレになってしまう要素がいくらか含まれていますので、できれば読み終わってからこちらを読んでくれると幸いです。もちろん、ネタバレなんて気にしないという方はそれでもいいかと思います。私はそれほどネタバレを気にする方ではないので、そういうところに無頓着だったりするかもです。前まではネタバレとかを気にしない人間だったのですが、今回デリバリールームを読むのにあたって事前に前情報を知っておくのをやめてみるという試みをしてみました。なんというか、ワクワク感のようなものがありますよね。そこが事前情報なしで読むところの利点だと思います。しかし、あらかじめそのネットで書評などに目を通していたら読まないとは言わないまでもすぐに購入して読もうとは思わなかったのかもしれません。まあその書評がかなりの酷評だったわけですが、西尾維新の小説は気長に待てばBOOKOFFなり図書館なりで手に入れるわけだし、私も限られた資金で本を買わなければいけないのでそこは賢明な判断というのができたのかもしれません。西尾維新、ネット上の書評ではかなり叩かれているイメージがあります。今回はその理由とかひっくるめてデリバリールームの感想と妄言を書き込んでいきたいと思います。

さて、『デリバリールーム』は日本の小説家西尾維新による小説作品の1つで、今これを執筆する現在彼の作品の最新作です。主人公は中学3年生にして妊婦であり、「幸せで安全な出産」と「愛する我が子の輝かしい未来」を手に入れるために謎のデスゲーム会場「デリバリールーム」への入室を決めます。ここまでは一度読んだ人ならわかると思いますが、前提条件として念のため。あるいは読んでいない人がいるかもしれないので。この時点でことの深刻さというかシリアスな舞台設定が見えてきていますよね。興味を引くようなタイトルと表紙と設定があれば人間の購買意欲はいとも簡単に刺激されてしまいます。

2: 西尾維新の抱える問題意識

西尾維新の作品の主人公とかってどちらかと言えば内面に問題があるタイプのものが多い気がします。戯言シリーズでは本人が戯言を使うことと玖渚が青い髪を持つ理由が問題の要点でした。物語シリーズでは怪異を救うことに対する主人公阿良々木暦の責任の取り方が問題でした。もちろん、就職できないという社会的に共有された問題を抱える窓居証子というキャラクターもいます(難民探偵)

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これはもちろん彼女自身の問題ではあるのですが、本質的には彼女だけの問題ではありません。また、デリバリールームにもあとがきはありませんでしたが、難民探偵にもあとがきはありません。今回私が話の俎上にあげたいのは西尾維新がどうやってこれらの問題と向き合ってきたかということについてです。物語には問題があって、それを解決するまでの過程を書くというのが王道中の王道です。しかし、西尾維新は自らのフォーマットとして多くの作品で推理小説を選択しているという点において既に王道からずれています。推理小説は死人が出ているという「問題」を持っています。雪の山荘でも、絶海の孤島でもなんでもいいですが、そのような孤立した環境にいながらして殺人鬼が近くにいたら自身の安全保障が脅かされてしまいます。故に犯人探しで安全を取り戻そうというわけです。推理小説を展開するにはまず死体がなければいけません。西尾維新の場合はむしろ死体があれば推理小説であると言えるのかもしれません。推理小説のフォーマットは形式上の問題を容易に作ることを可能にします。先程も述べましたが、難民探偵では窓居証子は「就職できない」という問題を抱えています。難民探偵ではその名が示す通り服装の入れ替えトリックについての推理が披露されますが、これは窓居証子が靴下のことについて気がついて発見されたことが真相のトリックとなっています(詳しくは本編を読んでみてください)。しかし、窓居本人はこれを「私だけが気づけることではなく、いずれ誰かが気付いていたことだろう」みたいなことを言っています。そのような、主人公が問題を解決していないというようなことが全編にわたって強調されています。そして探偵役の根深陽義も立ち位置的には同じです。探偵が推理を披露したところで、推理小説みたいに加害者がトリックの説明を懇切丁寧にしてくれることもなければ、問題がそのままスパッと解決することもなく、裁判は長い時間をかけて厳正に行われ、その真相がわかるのはより長い時間経った後であるということが表明されます。これ自体は彼の警察という職掌を考えれば、現実に即していて当たり前のことです。ただ、作者は問題が解決することはないということを意図的に選択している向きがあります。

3: 青色サヴァンの髪は何故青い

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まずは1番最初、西尾維新の処女作である戯言シリーズの問題解決の手法について見ていきます。これもまた先程も述べましたが、戯言シリーズの問題の要点は「主人公戯言遣いが戯言を使う理由」と「玖渚友が青色サヴァンである理由」です。

戯言遣いが戯言を使う理由については明らかになっていません。これはそもそもそれを追求することでもないのでしょう。元からそういうタイプの人間もいるように、元から戯言遣いな人間もいるというわけです。つまりこれはわざわざ解決するような問題ではない。それでいながら、作中の屈指の謎であり続けるのにはそれなりの理由があると思います。それで、もう一つについてですが、これも作中では理由が明らかにされていません。物語途中において青色サヴァンは後天的で戯言遣いがなんらかの加害をした結果、そのような状態であるということが示されます。これは戯言遣いが戯言遣いである理由とは異なり、解決可能でするべき問題です。サイコロジカルの前半で鈴無音々が「自虐ってそんなに気持ちいい?」みたいなことを確か言ってましたが、戯言遣いはそれで満足しているので問題解決に対して積極的ではありません。

これまで挙げた問題から推測するに、戯言シリーズの問題解決の動きは「戯言遣いと玖渚友の関係修復」にあると考えられます。考えられるのですが、実際にはそうなりませんでした。戯言遣いと玖渚友の間に被害者 - 加害者の関係があるのだから、それを解決するための働きが最終巻、つまりこれはネコソギラジカルことですが、そこになければいけないはずです。しかし、実際にはそうなっていないどころか、まったく意味不明で脈絡もなく「戯言遣いの敵」を自称するキャラクター西東天が登場し、ながながと文庫本3巻分にわたって敵の「十三階段」と呼ばれるチームと超能力バトルを行っています。もちろん、推理小説を放棄しているのは結構前からのことで、別にそこにとやかく言うつもりはないですが、ここで注目してもらいたいたいのは「西東天」と戯言遣いとの関係性です。

これは私の悪い癖で、ある作品(デリバリールーム)の解説をしようとしているのに、それ以前の作品についての解説に入り、その解説をするためにまた別の作品の解説をしなければなりません。物語が抽象化された問題に対して「柔らかく」挑んでいるというのは説明がつくでしょうか。例えばオズの魔法使いでは、かかしは「脳」ライオンは「勇気」ブリキは「心」を欲しています。結果的にそれらは魔女が詐欺師だったりして、多くの実質的魔法的当初から望まれていたような手段では手に入れることができません。しかし、それらは旅の過程で手に入ったといわれます。作中の試練が、かかしには脳を、ライオンには勇気を、ブリキには心を与えたのです。それが物語において重要なことです。その問題の解決のシステムが正常な展開です。

慌てて書きましたが、いささか話の脱線が激しいでしょうか。もっと戯言シリーズに近いような推理モノの作品を紹介しましょう。魔人探偵ネウロですね。

え、読んだことない?そうですかそうですか。いや、これは本当に悪い癖です。どれだけ脱線してるんですか。でも魔人探偵ネウロは面白いです。是非ご一読を。

魔人探偵ネウロのあらすじはわざわざ書きませんが、これも推理小説の皮を被った娯楽作品であるという点では戯言シリーズと良く似たものであると私は思っています。魔人探偵ネウロという作品で登場人物が抱えている問題は、「主人公ヤコが探偵活動に積極的ではない」と「探偵ネウロが継続的な謎を食べる行為を必要としている」ことです。物語全体は後者の積極性で駆動していますが、同時にヤコの非積極性がブレーキとして機能しています。しかし、ヤコにはネウロに無理やり謎解きをさせられていくうちに、「人の心にこれからも触れていきたい」という思いが生じていきます。つまり、魔人探偵ネウロというのは名探偵コナンや金田一少年の事件簿などの正々堂々とした推理マンガではなく、ネウロとヤコの関係性がより高次のものに発展していく王道少年マンガだったのです(!)。最終話ではネウロが離脱した一方で、ヤコは成長して探偵という職業を手に入れます。ヤコの成長物語。同時にネウロが人間の価値を見出していく物語。そこに推理というクッションが介在しており、これはオズの魔法使いが旅というクッションを介在させたのと同じ理由です。ライオンは「勇気」を手に入れましたが、ヤコは人間の心を探ることに喜びを見出しました。

これらのネウロとオズの魔法使いの話がどう戯言シリーズの内容とつながってくるのかというと、この2つは問題→解決の因果関係が明確であるのにも関わらず、戯言シリーズでは西東天との戦いがジェイルオルタナティブとなってしまい、肝心な問題の解決が行われなかったところです。私はこれが西尾維新にまだ問題を解決する手法が想像できなかったからだと思います。そもそも戯言遣いが何をしたのかもイマイチ明かされていませんし、闇に包まれた問題を解決することはできません。だからこそジェイルオルタナティブする必要があったのだと思います。推理小説を1巻の題材にしたのも、人殺しを解決することでしか問題を解決できなかったからだと思います。作品の最後のシーンでは問題の象徴であった玖渚友の青い髪か黒になり、不自然なほど幼かった体格も年相応になっています。西東天との戦いをえて2人の関係は修復されています(子供も産んでます)。これらの解決方法は明らかになっておらず、明確に提示されているわけでもありません。これが西尾維新の最初の作品です。

3: 化物語の場合

こちらは軽く触れるに留めておきます。西尾維新と言えば忘れちゃいけないのが物語シリーズで、さすがにその数も多く既刊27巻を誇ります。このシリーズにおいては戦場ヶ原ひたぎが割と顕著な問題とその解決についての示唆をしています。

戦場ヶ原の問題は「カルト宗教にハマって疎遠になってしまった家族」です。そしてオズの魔法使いが勇気を出すという問題の解決に「旅」という抽象的なアイテムを使った通り、こちらは「体重がない」という戦場ヶ原の状態がメタファーとなっています。いわば、戯言シリーズはメタファーすら適切ではない状態です。西東天と戦うことは「戯言遣いと玖渚友の関係の修復」にはつながりません。しかし、戦場ヶ原ひたぎはカニの怪異に謝罪して体重を取り戻すことで、家族との関係を修復することができます。これはもちろん比喩的にということですが、要所で戦場ヶ原ひたぎが家族との関係を取り戻すのに値する要素が挟み込まれています。アロハシャツを着たおじさん、忍野メメはカニとの儀式の仲立ちをやってくれました。このおじさんというのが強者で、体重が失われたのはカニという怪異のせいではなく、戦場ヶ原ひたぎと家族との関係性にあると述べます。これが抽象化された問題(=怪異)と現実に存在する問題(=家族との疎遠な関係)を接続しているのは明らかです。つまり戯言シリーズの状態では欠けていた抽象化された問題と現実的な問題の接続がここで回復してきています。西尾維新は一歩前進しています。

また、阿良々木暦が責任を取るべき人間、つまり加害者としての役割を当てられていたのもなかなか大きいです。阿良々木暦はキスショットハートアンダーブレードを救いましたが、それは野生動物を助けるようなことであり、さらには阿良々木暦がキスショットの怪異性(人の肉を食べるシーン)に適応できなかったため、眷属状態から脱却しなければなりませんでした。これは話がうろ覚えなのでここまでにしておきます。

3: デリバリールームでの問題と解決

ここまで話してやっとデリバリールームの妄言を垂れることができます。デリバリールームにおける問題は「幸せで安全な出産ができないこと」と「子供の幸せが望めない可能性があること」です。主人公たちは全員妊婦です。各々に以上のような問題が生じる理由があります。例としてアイドルグループ『ツインツインツール』に現役で所属している妻壁めしべの理由をあげましょう。いくつかセリフを引用します。

「(家の方針がより厳格になったの?)これ以上なく。アイドルは『女の子』であって『女』であってはならない、まして『雌』など論外だって、両親は事務所で自論を展開して盛り上がっていたのだ。まあこれを言うと愚痴になっちゃうのだ」
「性行為は駄目でも、生殖行為ならいくらでも許されるんじゃないかって。だって、赤ちゃんは神聖で純粋だって、妻壁は教えられたのだ」
「中絶しろって言われたけど、それだけはできないのだ。だって、中絶したら、その二十人としたのが、性行為になっちゃう。生殖行為じゃなくなっちゃう。妻壁は生まれて初めて、反抗したのだ」

つまり彼女は歪んだ性教育というかなり現実に肉薄した問題を持つキャラクターであることがわかります。生殖行為と性行為の言葉遊び的な部分は、西尾維新の方便的な個人の感性がぶっ飛んでいる話なのかもしれませんが、それ自体、自身が行使する理由ではなく、他者が行使する理由としては実在するのかもしれません。禁欲を是とする宗教のお偉い人が、あれこれ理由をつけて性行為を強いるのと同じように。

彼女は事務所から中絶するように命令されているがために安全な出産が望めず、子供も無事生まれたとしてもその後の風評被害によって害を被るかもしれません。

「問題」にはいくつかの理由がありますが、それが抽象化された共通のアイテムとして表現されるのが妊婦同士のデスゲームです。これには性別ゲーム、産道ゲーム、想像妊娠ゲーム、ベビーシャワーゲーム、分娩ゲームの4つがあり、それぞれが妊娠に関係した内容になっています。そしてこれらのゲームをクリアした妊婦のみが幸せで安全な出産を手に入れることができます。幸せで安全な出産とは有り体に言ってしまえば資金です。いきなりネタバレになってしまうのですが、主人公は優勝の対価として日本円にして4億円の資金を受け取っています。もちろん、妻壁めしべは金だけか問題ではなく、事務所からの干渉を防ぐために権力の傘を使用しようとしていましたし、これは単に金に換算すればという話です。つまり金はキーアイテムでありますが、すべてを解決する手法ではありません。しかし、金をキーアイテムとして設定したのが西尾維新の妙技です。これは化物語でカニに謝るという行為がダジャレとオカルト的要素によって繋がれていたこととは異なり、ゲームをクリアして資金を得た結果問題が解決するというもので、現実に即したなかなかに良い回答です。納得がしやすいのかと思います。

また、多くの批判があるようなのでそこの考察もしていきたいと思います。多かったのは「各ゲームのクリアの仕方がさほど面白くない」というものでした。これには私もある程度同意します。性別当てゲーム至っては相手が待ち合わせに使っていた空港では雨が降っていなかったはずだから傘は持っていない→こっちは雨が降ったたから傘を持っている→じゃあ傘で脅迫して本当の性別を教えてもらおう、という有様です。一方、産道ゲームなどはそれなりに理が通った内容です。これはいわゆる脱出ゲームなのですが、脱出の鍵となるキーワードが門番の数に対してひとつ足りないという問題が発生します。結果的に「産道を通れないので帝王切開で脱出する」という理論が生まれ、スピーカーの裏側に新しい"産道"があるということが明らかになります。この流れは極めてスムーズで、普通に産めないパターンの問題を想定した妙手です。この辺は問題意識とゲームの内容がつながっていた面白いと思いました。しかし批判にもあるように、産道ゲームでの回答がどうして得られたのか分からないという意見もある程度は正しいです。

4: やっぱ全部寄付する必要はなかっただろ

その過程には色々ありましたが、主人公はゲームをすべてクリアして幸せな出産をする権利を手にしました。私がちょっと納得していないのは、手にした権利を資金に換算して4億円をゲームに参加したメンバーそれぞれ配分したことです。問題を抽象化したゲームをクリアしたのに問題が解決できていません。一応「罪悪感を感じることがない」というメリットはあるものの、作品中で強調され続けた主人公の問題が回収されていないことには変わりはありません。主人公の出産に対して抱える問題というのは代理母に関する普遍的な問題です。現行の法制下では親権は代理母ではなく実母にあるわけで、少年法のことを考えても実母のもとで出産するのはリスクが高い。故に権力的にも強い甘藍社のもとで出産をすることが母子ともに安全を確保することにつながるはずです。

これまで西尾維新の問題意識について考えてきましたが、これでは化物語では解決した出来事が解決しない事態になってしまいます。

ひとつこの問題を回避するバース・プランがあるとすれば、デリバリールームという経験そのものを価値に還元することです。この作品のエピローグは主人公と父親のコミカルな会話パートです。この中で主人公はデリバリールームでの経験を小説家である父親に小説にしようと提案します。これが体験の価値化。問題の抽象化であったデリバリールームでのゲームを本の材料にすることです。この妊婦の現状を広く知って貰えれば、現行の問題に見合うような対策を取ることもできます。「皆に知ってもらう」はかなり万能な解決策です。このような内容で本を書くこと自体が「皆に知ってもらう」ということなので相性も良いです。小説家を父親にした意味がでてきます(父親、嫌がってる割にはノリノリ)。

主人公にも若干の成長がありました。様々なパターンの問題を知ることで、人に伝えることの意味を理解するようになりました。だからこそ父親に本を書くことを勧めているわけです。

また、主人公の父親はそのまま西尾維新本人ともつながってきます。まさしく、この本を書こうとした理由がこれなんだろうと思います。

「しかしこのいかがわしい題材を、1番優しく書けるのはぼくだと言えるくらいの自負はある」

弱い人間の立場でずっと本を読んでいた西尾維新だからこそこの言葉が響いてきます。あくまで彼はエンタメ小説の作者であるので、そのような本来重苦しい題材をエンタメにしてしまえるというのが本当にかっこいいです。例え記憶力がなくても責任感がなかったとしても物語の主人公になってもいい。女子中学生の妊婦が主人公でも良い。そういう優しさが西尾維新にはあると思います。

5: まとめ

デリバリールームの感想を調べていたら酷評を読んでしまったので辛いところがありました。というかその酷評も鑑みてこの文章を書こうとしたら自分から批評家みたいな言葉が出てきて嫌な気持ちになりました。十分に面白いと思ってこの本を読んでいたのに、人の評に反論しようとして物語の問題点を見つけてしまうのは嫌でした。

念のため言っておくとめちゃくちゃ面白かったです。内容について精査するとこんな感じの文章が出力されただけで、基本的にはエンタメに十分足りる内容です。倫理学の准教授だという主人公の母が登場しなかったのは残念ですが、そういう描写がところどころたりてないのは西尾維新あるあるなので仕方ないと思います。

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