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プラトン『国家』がまどマギと同じという話をしたい


 タイトル通りです。プラトン『国家』と魔法少女まどか☆マギカのアニメ版の物語の構造は、世界観とその提示の仕方について類似性を見出すことができると思います。その話をしたくてたまらなかったのですが、あらゆる人に話しても全然共感を得られなかったので、今からその話をします。この話をしたいと思った私にはいくつかのハードルがありました。そもそも国家がよくわからない書籍だし、それとまどマギの関係性を見出しているのはめちゃくちゃです。

 まず国家ですが、プラトンという名前を見て、岩波文庫の表紙を見て、「なんだこのややこしそうな話は!」と思われるかもしれません。でも少し待ってて欲しいです。哲学書の中では屈指のわかりやすさです。まずソクラテスの一人称が「ぼく」です。さまざまな敵キャラクターをチート主人公のソクラテスが次々に論破していくなろう系で、作中に登場するアディマンドスは主人公の兄なので兄弟萌えです。対話篇なので文のほとんどが会話だし、地の文はソードアートオンラインのアンダーワールド編より少ないです。内容的にも、古代に書かれた本で、しかもソクラテスがwikipediaの影響を与えた人物の項目に「事実上、後のすべての西洋哲学」と書かれてるほどなので、基礎中の基礎です。時代が経ちすぎてかえってわからないところもありますが、基本的に一般的に納得できる直感や感性から理論を導入しているのでわかりやすいです。

 ざっくり言えば、『国家』は紀元前430年ごろにアテナイの港町で行われた老人たちの会話の話です。祭りを見物した帰りらしく、娯楽のために外へ出て、物見遊山もする都市のある世界観です。日本で言えば江戸時代や現代の感覚。都市が育まれてないとそうはなりません。この都市と国家と人間が重要な話になります。厳密なテクストの読みではそこが対象です。哲学者や、歴史学者がやる読みがそこになります。つまり、この本の本題であるところの国家と正義の話です。ソクラテス曰く正義は強いところが弱いところに打ち勝つ《気概》にあります。それは国家のあり方を見ていれば理解できるようです。

「もし靴職人がその身に相応ではない贅沢を味わったら靴を作ることはできない。なんであれ、その人はそのことを極めるためには一つのことに集中しないといけない」(この「」は引用ではない。ざっくりとした要約)

 人間が一つのことに集中し、各々の職能を成していることが正義のある国らしいです。とりわけ、守護者については特にそうです。守護者というのは、兵士や政治家のことを指しますが、守護者はそれゆえに、厳密に定められた教育を受けないといけません。人は物事に影響を受けやすいからという前提があるからです。守護者は哲学者でもあり、国民の変な判断に惑わされずに良い選択を選ぶことができます。また、都市国家の周りにはまた別の都市国家の陰謀が渦巻いているのだから、それらの中で生き残らないといけません。だが国の長が哲学者なら、その判断力によって生き残るという正義を成すことができます。農家が政治家になってもことを成さないように、弱い心が強い心に優越する場合も、ことを成せないとソクラテスは語ります。例えば、正義が不正義に勝つ場合がそうです。あるいは、奢侈が節制に勝るような場合がそうです。この強い心の要素を「徳」とか「卓越性」とか呼び、これを身につけることによって人間は素晴らしくなることができます。君もなろう! 哲学者!

 それがソクラテスの語る正義論です。正義論の是非について話すことも色々あるでしょうが、今回の本題はそこではありません。

 ソクラテスの価値観では、国家は人間の相似形なのでしょう。国家における正義(=哲学者がほかを押し抜けて国の長であること)は、人間でも同様に正義です(=強い精神《徳》が弱い精神に勝つこと)。ですが最後に明かされる展開からは、人間、国家の上にさらに上位の世界観を見出すことができると思います。それが世界です。ソクラテスは、当時未知であった宇宙についてこのような構造であると考えていました。


岩波文庫版「国家(下)」p404 (616)の図3を参考にcarbon13が作成

 今見ると天動説が当たり前に導入されて驚きですが、ソクラテスは諸々の正義について語った後にこの世界の構造について語っていきます。ある人(アルメニオスの子エル)が経験した死後の世界です。地獄と似たような地下の世界に行かなかったエルは、天に昇っていき「光の綱」を発見します。これをさらに上っていくと八人のセイレンが単一の音階を構成する歌を歌っていたり、白衣をまとって花冠をかぶった女神が過去、現在、未来のことを歌っています。そこで人々は籤を引いた順番に次の人生を選ばされます。つまり転生チートです。しかし、人は必ずしも良い人生を選ぶことはできません。目先の欲求からカスの君主の人生を選んで身を亡ぼしたり、子供を食うような人生を選んでしまいます。良い人生を自らつかみ取るためには、良いものを良いと見極める心の強さが必要です。欲求に惑わされないためには卓越性の一つである節制を、人生のすべてを見渡してリスクを計算するのは思慮深さがなければできません。正義がなければ悪人の人生を選んでしまいますし、勇敢さがなければリスクのある人生を選べないでしょう。ソクラテスが卓越性を獲得するように読者に薦めるのは、キリスト教のように「そうすれば神に天国へ連れていってもらえるから」ではありません。「自分の人生は自分で選ばないといけないから」です。正義のあり方について長々と語った後に、その世界観に準じた世界観がソクラテスの口から明かされます。これって、まどマギのエンディングと同じです。

 魔法少女まどか☆マギカでは、ほむらの愛が繰り返し続けた結果、その愛を以てしてすべての可能世界を救済する存在にまどか変貌します。作中の内部では、繰り返し様々な形で愛が失敗するところが語られます。さやかの恭介への愛は、一方的で相手のことを考えないものであったため失敗します。マミのように、幅広い人に対して公平に救いたいという気持ちがあっても駄目です。理想とそうでないものの間で失敗して、死亡してしまいます。しかし、「それでも愛は素晴らしいから」こそ、ほむらが個人的にまどかへ抱いていた愛が世界を変革させます。ワルプルギスの夜に遭遇し、窮地に陥ったまどかが見せるのは、この世界だけではなく、「全ての」世界を救済するという意思です。なぜなら、この多元世界には多くの救うべき意思があるからです。この設定が開示されると、これまで語られてきた愛の形が、一つの世界観のもとに整列し始めます。世界の内部で語られた様々な要素を組み合わせると世界の全体像が見えてくるのが素晴らしいです。

 国家では《德》と呼ばれていたものが、まどマギでは《愛》の形です。世界を上回る情熱が世界や宇宙の地図を見渡すことを可能にします。そこに感動しました。



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