キャラメルマキノート

1994。男。生き方の模索と自己概念の再構築

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SNSも推し活も辞めなきゃよかった

こんなにお見苦しい文章を見せるのはもしかしたら後悔するかもしれないのでそう思ったら消します 推し活とSNSがあったから今まで生きてこれたんだなぁと思って、少なくとも、SNSを辞めます宣言してから今日で3ヶ月経って、メンタルは本当に限界に近付いていております 状況を紛らわすために、ドライブしても、本を読んでも、何しても、そうやって毎日少しでも建設的に過ごそうとしてもそれは気が紛れているだけで、ああ、どうせひとりなんだって思うといよいよ悲しいし、そして行動を起こさなければ明日

    • 文章書くの好きぃ~

      自分がnoteを始めたのが2022年1月12日なので、2年半ちょっと経つのだが、重いテーマについて書くことが多かったので、たまには気軽に書いてみようと思う。 と、そもそも思うのは何故なのかというと、自分は文章を書くことが好きだからなのだと思う。 なので今回は、自分がどうして文章を書きたがるのかということについて自己分析してみた。 どうでもいいけど、自分がnoteに投稿する時、ですます調で書くか、である調で書くかが定まっていなくて、なんか恥ずかしい。 考えすぎる性格自分

      • 推し活賛歌、SNSを2か月半辞めて荒みまくるメンタル

        最近読み漁った本のタイトル ……「男はなぜ孤独死するのか」「友達がしんどいがなくなる本」「ソーシャルメディア・プリズム――SNSはなぜヒトを過激にするのか?」「本当の依存症の話をしよう -ラットパークと薬物戦争-」「暇と退屈の倫理学」「スマホ脳」「何者かになりたい」「認められたい」「年収90万でハッピーライフ」 人生に迷っている様が如実に分かるようなラインナップ……。いまや高齢者だけでなく若者においてもメンタルヘルスや孤独死の問題が取り沙汰されていているけど、まさか自分がそ

        • さよなら、20代──11年ぶりに会ったアイドルに震えて帰る

          ライブに行ってこんなに感情がめまぐるしく動かされるとは思ってませんでした。正直、今もずっとこのライブの日のことで頭がいっぱいで、絶対忘れたくない思い出なので、noteに書いておきたいと思います。 ということで、2024年7月31日、名古屋ボトムラインで行われた「和田彩花とオムニバス/カンナギマロ」に行きました。和田彩花さんとカンナギマロさんの対バン形式のライブです。 前回のnoteでは、自分が高校生の時に応援していた同い年のアイドル(スマイレージ)のメンバーふたりが、ライ

        SNSも推し活も辞めなきゃよかった

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        • 推し活と健康
          7本
        • アイドルを語る
          5本

        記事

          スマイレージ世代の俺は名古屋に行く──アイドルとアイデンティティ

          スマイレージ世代っていうのは一般的な用語じゃなくて自分で勝手に言ってるのですが、ハロプロのアイドルグループ、スマイレージ(現:アンジュルム)の結成メンバー4人のうち3人が1994年生まれでして、自分も同い年なのでそういうことにします。 大谷世代とか羽生世代とか言われてきたけど自分にとってはスマイレージ世代です。そもそもはスマイル+エイジの造語でもあるのでスマイルエイジエイジです。ん? 追記:このnoteはライブを見に行く前の話をしているので、ライブを見に行った感想は別で書

          スマイレージ世代の俺は名古屋に行く──アイドルとアイデンティティ

          2024年6月のまとめ

          短い人生の中で爆速で過ぎ去って行った2024年6月のことを色々書いておかないと忘れそう。 趣味と承認欲求の関係こんなにSNSを触ってない時期もない。オタクになる以前、5年ぶりぐらいかもしれない。しかもこんなに人と連絡を取ってない時期もないから、そのぶん本当に自分に(否応なく)向き合っているような気がする。 6月に入ってSNSからログアウトした。その理由の一つには、SNSを断ったら自分がどうなるのか気になる、というのがあった(今こうして記事を書いているnoteがSNSに含ま

          ご報告。脱SNS

          いったんSNSというのを全部やめてみたくなりました。だから一度全てからログアウトします。気が変わらなければ1年以上いなくなりますし、挫折すれば数ヶ月しないで撤回します。戻ってきたら再びよろしくお願いします。 以上、ご挨拶まで。 以下、その判断に至ったきわめてプライベートな理由について説明します。ちょっとお見苦しいかもしれませんが。 気持ち的には、辞めることはわざわざ報告するようなことなのだろうか?と半分くらいは思ってます。というよりは、これを読む半分くらいの人が、いちい

          ブレーキとアクセル。

          自分が「これだ!」と思うものを見つけてから、それに向かって突き進んでいく速度がものすごいらしい。らしいというか、たぶん他の人とそれを比べたら、そうなんだと思う。 だから、そう。主には趣味において、俺はここに骨をうずめると決めてから、たぶん生活のほとんどをそこにベットしちゃう気がする。「俺はこれと共に生きる」とまず自らを定義する。そしてそのためにあらゆるリソースをそれに割く。で、気付いたら生活が破綻している。なんだこれ。 衝突するまで進むこのnoteでは何度も出てくる「やる

          ブレーキとアクセル。

          無力な状態から脱したい。

          1年前の自分は、1年後の今の自分に何も残してくれなかったなと思います。 いや、正確には、その瞬間ごとの課題や享楽に向き合うことに全神経を集中させてきたので、未来の自分に対する行動は後回しになっていました。 未来の予測が下手くそ人間の脳は「未来の自分」に対する予測がとても苦手らしいです。 目の前に、スーパーじゃ売ってないような高級なチョコレートを置かれたとします。 「今すぐチョコ1個貰うか、15分後にチョコを2個貰うか」だったら、15分待たずに1つ貰ってしまうかもしれま

          無力な状態から脱したい。

          仮説1:他人に喋っているようで実は他人は関係ない。

          僕もなんだかんだで男の子なので、好みの女性のタイプがあります。 なので、ショートが似合いそうな人がロングにしてたり、ロングが似合いそうな人がショートにしているな…みたいなことを勝手に考えています。 それは僕の個人的な意見なので、本人の意思とは全く関係はありません。 昔、街中インタビューかなんかで、奇抜で、男ウケしない恰好をする女性が「男のためにファッションしてるわけじゃない」と答えている映像を見たような、見ていないような、見たような気がします。 確かに、男性が理想とす

          仮説1:他人に喋っているようで実は他人は関係ない。

          いつ辞めてもいいように推し活する。

          高校生の頃から所謂「推し活」を始めた。自分の場合はアイドルの応援。今に至るまで、程度は違えど「推しを推す」ことに夢中にさせるエンタメビジネスに熱狂し、その良い面と悪い面を享受してきた。 いつからか─周りが見えなくなる程にのめり込む最中においても─その活動をどのように終わらせるかということを念頭に置いて推し活するようになった。 もしもその対象に別れを告げるときが来たら、自分がどのような精神状態でいることが好ましいかについて考える。綺麗に別れられず未練や執着を引きずってしまう

          いつ辞めてもいいように推し活する。

          「自分には何もない」が救いになる日。

          半年以上、タイトルだけ決まっていて書けなかった内容をようやく言語化することができた。 自分なんか大したことないと本気で思っている。 いや、厳密には自分なんか大した存在でなくてもいいと思っている。 自分のことを認めてあげられるかという尺度で言えば、今までなら、何者でもない自分を悔しく感じる夜が何度もあった。 自分が何者にもなれていないから、集団から置いていかれるし、周りの人に認められないし、友達が作れないし、自分の歩いた道のりが平凡なものだなと思う。 自分対社会の構図

          「自分には何もない」が救いになる日。

          陰湿インターネット、キライ

          この前ふと目にしたポストに深く感心したのだが、「人間関係のコツは、その人を嫌いにならない距離まで離れること」と書いてあった。 確か結構伸びているポストだったのだけども、自分が普段から気を付けていることだったので、同じような人もいるのだなと少し嬉しくなった。 誰に対してもヘイトの感情を持ちたくない自分は、人間関係において、そんなに心の奥の方まで見せる必要がないと思うし、別にうわべだけの付き合いで構わない。 それは誰彼構わず迎合するということではなくて、分かり合えないことが

          陰湿インターネット、キライ

          殺伐とした世の中で、オタクがオタクであるために。

          「推しのオタク」という状態が成立するには「推し」と「オタク(自己)」の二者のみがいれば十分だということを常々思っていた。 しかしながら、SNS上のオタクという生き物はどうもそれ以外の外的な要素によって大きく消耗し、自己の存在を見失っているように見受けられる。 まず、彼らにとって(そして私にとっても)何らかのオタクを自称するという行為には、ファンコミュニティへ帰属することで社会的欲求・所属欲求を充足する目的と、他者との交流を通して情報を得るという目的があるのではないだろうか

          殺伐とした世の中で、オタクがオタクであるために。

          ハロプロにハマって驚いたことがありすぎる。

          ハロプロ初心者なのだが、あらゆるシステム・文化を理解していくうちに、それらをまとめて書いておけば需要があるかもしれないと思ったので書き記しておく。 (ハロプロにハマる経緯については以下の記事に) 長年応援してる方にとっては「そんなことが意外に思われるんだ?!」というものがあるかもしれない。 自分が調べていくうちに驚いたことがメインだが、他人に教えた時に驚かれたこと・新規の方に教えてあげたいことも含む。歴が浅いために間違っている内容があるかもしれないのでその時は教えてくだ

          ハロプロにハマって驚いたことがありすぎる。

          9年間離れてたグループを再び追うようになった話。

          以前noteで、自分が今まで触れてきたアイドル遍歴を簡単に紹介したが、 今回は「1度ハマったあと離れてしまったグループを、9年後に再び応援するようになった話」を掘り下げて書いていく。 そのグループの名前は「アンジュルム」(2009年結成。2014年12月までの名前はスマイレージ)。 以下、そのグループと自分との関わりを色々と書いていく。 【男子高校生、スマイレージにハマる】自分は1994年生まれの28歳なのだが、話は2012年、高校3年生17歳の時に遡る。 それまでジ

          9年間離れてたグループを再び追うようになった話。