見出し画像

一汁一菜なら、できるかも。『映画 情熱大陸 土井善晴』を観て


テレビ放送の25分枠に収まりきらず、映画になったらしいです。

料理研究家の土井善晴先生。私の心の師匠。20年前にレシピ本に出逢って以来、レシピはもちろんお人柄も大好きになり〝推しオジ〟のお一人。
ちなみにNHKの「きょうの料理」の後藤アナとのゴールデンコンビ、駄洒落の応酬が大好きです。

かつてはそのレシピや調理法に大変お世話になっていたが、ここ2〜3年、私は料理に対する意欲を完全に失っていた。
子供達も成長した今、ちゃんとしたものを食べさせねば、という義務感はない。元々そこまで好きでもなく得意でもない料理、それにかける時間・気力・体力は減る一方だった。

家族4人が揃って食べる機会が減ったのも一因だろう。用意しても食べたり食べなかったりで、残ったものを翌日以降食べるのも処分するのも私、という行為に疲れ果ててしまった。
結果、余らせるくらいなら作らない、食べ切れる量のお惣菜を買う、という食生活になってしまった。しまった、という言葉を使う程度残っていた罪悪感だが、料理をしたくない気持ちにあっけなく飲み込まれた。それくらい、私は疲弊していた。料理なんて嫌い。

そんな私が、この映画を観て「お味噌汁、作ってみよう」と思った。そして、実際に作った。しかも夜の21時から。
家族全員外食の日だったので、映画を観たあと渋谷で美味しいお弁当を買って帰ろうと思っていたのだけれど……どうしてもお味噌汁が飲みたくなってしまって。

だって、スクリーンの中で土井先生が自由につくるお味噌汁がそれはそれは美味しそうで。先生が弾ける笑顔で楽しそうにつくる姿を見て「私もやってみたい」と思ったのだ。

お椀1杯分の材料を切ってお椀1杯分のお水と一緒に鍋に入れて、出来上がるまでは10分か15分。鍋の中で野菜たちが煮えるのを見て卵を落とし入れ、白身がほどよく固まるのを待つ。透明な白身は半濁状態になり、やがて白さを増して黄身を包み込む。その様子を私はただ、見ていた。

そうだ。
卵は、野菜は、食べものは、それだけで素晴らしい存在なのだ。私はそれらを割ったり切ったりして、お鍋に入れて火にかけるだけ。あとは食べものの力に任せるだけ。
「切って焼くだけマシーン」と自分で自分を揶揄し、料理をできない・したくない自分を責めていたのは、私だった。

切るだけ、焼くだけでも立派な料理じゃないか。誰がやっても一緒だろう。しかし投げやりにやったり嫌々やったりすると、きっと野菜は固いままで卵は火が入りすぎてしまうだろう。
目の前の食べものをちゃんと見て、食べものの一番美味しいタイミングを見極める。それなら、私もできる。
できた!

小松菜、しめじ、ベーコン、
トマト、卵のお味噌汁


水の量が多くてたぷたぷになってしまった。卵の黄身はいい感じ。
出汁はなくていいって先生は言ってらしたけど、ちょっとだけ物足りなくてかつおぶしを足した(煮干しを入れなかったからかな)。
ちょっとイマイチだなあと思ったら、次に気を付けて直せばいいんだ。私が私のためにつくるお味噌汁は、それだけで特別で自由で、おいしい。


『情熱大陸』のラストシーン、土井先生の直筆で書かれた言葉は「料理は◯◯」だった。
(ぜひ劇場で観てください)

その言葉を思い出しながら、私は私のために作ったお味噌汁を飲み干した。明日はもっと美味しく、楽しく作ろう。家族の分も。
具材は土井先生を真似して、味噌汁にそれ入れる⁈と衝撃的だった◯◯とか◯◯◯を入れちゃおうかな。

さあ、買い物に行こう。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?