音楽と青春
音楽に囲まれ音楽のために全力を尽くした学生時代はかけがえのない宝物だった。
気づけば周りの友達のほとんどが一緒に音楽を作ってきた仲間達だ。
今の小学校には部活動がないということに驚きと悲しさを隠しきれないが、私の音楽との出会いは小学校の部活動に遡る。
運動が得意というまさかの理由でトランペット担当に。主旋律を奏でることができて、多くの人に音を届けることができるこの楽器がとても好きだった。
真夏の灼熱の太陽が照り続ける中、10歳〜12歳だった私たちは楽器を吹きながら行進する「マーチング」の練習に励んだ。
塩昆布、塩分チャージタブレット、4倍に薄めたアクエリアスが私たちのオアシスだった。
なぜ4倍に薄めるか?それは砂糖を摂りすぎるとバテてしまうからという理由からだ。当たり前にアイスも禁止だった。
ハードな練習をこなしたからこそ掴み取った全国大会。初めての東京。初めてのディズニーランド。
全てが忘れられない初々しい思い出だ。
中学生になって腕立て伏せができるからというまさかの理由でトロンボーン担当に。自分自身あまり楽器を好きになれる事はできなかったが、パートメンバーが良かったことから部活を楽しめた。
小学校もハードだったが、中学校はハードという次元を超し過ぎていた。
始業前の朝練、昼休みの昼練、放課後の部活、休日もほぼ休みなしの1日練習。
中学2年生の時から取り入れた強豪バレー部の筋トレをなぜかやる羽目に。
朝から制服で階段10往復、腕立て伏せから始まる過酷な筋トレ、廊下を使い吹きっぱなしのマーチング練習。休日練習では時間を有効活用するために昼食は15分で、コロナウイルスはまだ存在していなかったのに黙食。
顧問が「崩して良い」というまで正座。ひどい時は約1時間正座の時もあったがその時は全員立てていなかった。まだまだ書ききれないほど変なルールはあるが、こんな具合だ。
全国大会には行けなかったが、九州大会には進むことができた。
今考えるとおかしい事ばかりだったが、耐えることができたのは友達がいたからだった。
高校生になって自らの希望でユーフォニアム担当に。
吹奏楽を続けたい理由から選んだ高校は本当に行ってよかったと心から思う。
中学校とは違い、大体の部員は吹奏楽をしたくて高校を選んできたり部活を選んできたりしていて、意識の高さに圧倒された。同じ気持ちを抱いている仲間がこんなにいることに感動すらもした。
同期の各々に良いところがあって誇れる仲間だった。
自分を成長させてくれたのも同級生だと思っている。こういうところはいいけど、こういうところはダメだと思うと伝えてくれる人は数少ないが、そう言ってくれる人が多かったように思う。
大学生になってからもずっと仲良くしてくれているのはほぼ一緒に音楽をやってきた仲間達だ。
苦しい時も嬉しい時も感情の共有ができているからこそ心から信用できる仲間達だ。
音楽をやってきたからこその一人一人が持つ感性や考えを特別に思うし、尊重したいと思う。
他の部活にはない全員で一つのものを創りあげる「音楽」は比較しようがないほど難しかったし苦労もした。でもそれを上回るほどに楽しかったし幸せだった。
これからも音楽を続けていけるようにかけがえのない友人達と共に一生懸命生きていきたい。
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