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かっこよくハーブティーを嗜みたい

物心がついてからのわりと長い間、実年齢より幼く見られがちな人生だった。
小中学生の頃は、行く先々で実際より2〜3学年下に見られたものだし、高校は私服登校の学校だった為、下校途中にどこかへ寄った時などは、おそらく周りから見た印象で言えば「塾通いの中学生が通塾前におやつ買いに来てる」くらいに映っていたと思う。

極めつけは、20歳の頃のとある日曜日。その頃、実家住まいだった私は、その日とくに出かける予定もなく、すっぴんにラフな格好で1人のんびり過ごしていた。そこへやって来たのが訪問販売の中年男性。確か、乳酸飲料の定期宅配契約しませんか?みたいな内容での来訪だったと思う。玄関ドアを開けた私に「お母さんかお父さんいますかぁ?」と満面の笑み。営業マンとしては素晴らしいのだが、若干の違和感を覚える。「今いないんですけど」「そっか。まだ、この後すぐに帰ってくる感じじゃない?お姉ちゃん、何年生かな?」「まだ帰らないと思います」「何年生?中学生か…6年生くらいかな?」
いやいやいやいや。もう成人してるし。もしもそう言ったなら、この場の空気は一体どうなる?だけど「はい、6年生でぇす。にっこり」って、合わせてあげる義理もないはず。なので結局「多分そういうの、とらないと思います」と言ってドアを閉め、最後まで笑顔のオジサンには、年齢を明かさぬままお引き取り願った。

こういう経験の多い人間は大概、若く見られること、もっと言えばナメられることに過剰なまでの拒絶感を持つ。よく童顔で小柄、若い頃「カワイイ」と人気を博した男性アーティストが、どんどん鍛えて身体を大きくしたりするのも、その一例じゃないかと思う(勝手に)。
事実私は、年齢を言った時に、たとえ社交辞令でも「見えない。若い」と言われて、ようやく本当に嬉しいと思えるようになったのは、40代も半ばを過ぎてから。そしてそんな今も尚、どこかで「かっこいい大人に見られたい」という思いは自分の内に潜み、完全に消え去ったわけではないのだ。

そんなひねくれアラフィフが、未だにちょっとだけかっこつけ大人に見られたい時に、最近ハマりつつある小道具の1つが、ハーブティー。普段はスーパーで買い求めた安価な挽き豆の珈琲ばかり飲んでいるのだが、たまには茶葉から淹れたハーブティーでも嗜んで、丁寧な暮らしを気取りたい。

嗜むって言っても自分の場合は、'飲む'のではなく'食べる'方へと、結局シフトチェンジしてしまうのだけれど。


バタフライピーで、ゼリー3変化。
吸い込まれるような深い青。
色みに反して癖もなく、すっきり爽やかで優しい味わいである。

ハマナスで、チーズムース。
色っぽさのあるピンク。
王道ローズ系の、まさにハーブな香りと風味があふれる、柔らかでまろやかなひんやりおやつである。

ところで。
言われて嬉しいと思えるようになった頃から「見えない。若い。」などと言われることは、急にぱったりと無くなってきた。

人生とは、まるでハーブティーで作るおやつのように、かくも甘く儚く。
時にひんやりと、冷たいものなのかもしれない。


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