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(連載)=氷河期文明の真実=9500年前の都市遺跡~インド・カンベイ湾海底遺跡

いま人類の歴史はどんどん書き換えられている!4大文明はもう時代遅れ。氷河期文明が世界中に存在した証拠。

トルコのギョベクリテペ遺跡が1万2千年前の遺跡であることが判明したが、ほかにも世界各地で8000~1万年前の高度文明の痕跡が次々に明らかになっている。その一つはインドでも発見されていた。今から20年前に!
2002年1月にインドの科学技術大臣が記者会見を行い、インド国立海洋技術研究所のチームがインド北西部のカンベイ湾の海底に巨大な都市遺跡を発見したと報告した。神殿や住居と思われる遺跡から回収された木片などの遺物を年代測定した結果、今から9500年前のものと判定されたのだ。
またしても氷河期末期だ。その遺跡は非常に巨大で同じインドの古代文明として有名なインダス文明にも匹敵するもので大臣は「ハラッパー遺跡に似ている」と言っている。この発見はこれまでの人類史を覆すもので、インダス文明よりも4000年以上も前に同じ水準の文明がすでに存在していたことの証である。このニュースは世界に配信され日本の大手新聞各紙にも大きく掲載された。まさしく、氷河期に高度な文明があったことの証拠なのだ。(上図はインダス文明の都市の想像図)


1万年前に既にインドに高度文明が存在

この驚くべき遺跡はカンベイ湾の水深40mほどで陸上から続く川の跡の川沿いに存在したことがわかった。海の汚染状況を調査していて偶然発見されたもので、当時の調査で海底には2つの都市遺跡があり、うち一つは長さ9キロ奥行2キロにも及ぶ範囲。実際の海中探査・海中ソナーなどの調査の結果、海底には神殿のような巨大な構造物から住居や浴場、通りや堤防も確認された。海底からは壺や宝石やビーズ、人間の骨や生活に使われたと思われる品々、用途不明のものも多く発見されている。サンゴの化石も発見されており、当時この周辺はきれいな海だったことが推測される。
2002年に日本のジャーナリストとインド海洋技術研究所コンサルタントとの取材により遺跡の詳細も明らかにされている。

海底遺跡から発見された遺物


カンベイ湾海底遺跡の概要
1)海底と海上地層など比較検討した結果100%人工物である。
2)回収された木材は海底の川の跡の下から発見され、明らかに加工されたあとがある。木片の年代測定により9500年ほど前と判明した。
3)ビーズなど発見された宝飾品を調査した結果、人間の手で加工された打撃痕があることが判明。
4)都市の西側の住居は大きく東側は小さい。小さい家の土台は5m×3mほどで一般市民の家であると推測、一方中央部から西側へ行くと住居は大きくなり11m~17mあり、これらは裕福な人々の家だったと推測される。
5)西端には長さ200m幅18mほどの大きな構造物とやや小さめの構造物が確認された。巨大構造物は神殿の可能性がある。
6)のちのインダス文明のような浴場や街路、下水道や長大なダムも整備されている。

インドで発見されている海底遺跡群

海底遺跡からの調査により当時のこの都市は階級制(貧富の差)がありなんらかの法かルールの下に管理されている可能性がある。宗教があったかは不明だが神殿又は寺院のようなものあるのでその可能性は高い。人々はある程度平等で商業や漁業で生計を立てていたと推察できる。インダス文明では解読できていない文字もあるが海底都市にも文字があったかはわかならない。

インドではこれまでにも東部海岸でも遺跡が発見されている。特に有名なのはマハーバリプラムの海で発見された遺跡で、インドの古代神話に登場する失われた寺院であることが分かっている。伝説ではインドラの神が洪水によって海中に没したと言われる。著名なジャーナリストのグラハムハンコック氏も現地で海底調査している。今から7000年以上前のものと推定されている。
この遺跡も港湾都市の近くの海底で発見されており、カンベイ湾と同じく氷河期末期の海面上昇により海底に没したと考えられる。
またカンベイ湾遺跡と同じグジャラート州にはドーラビーダーなどインダス文明の複数の都市遺跡も見つかっており、海底都市が沈んだ後に都市を離れた人々がより内陸に新たな都市を建設したと推測される。
しかしインダス文明は4600年前に始まったとされ、海底遺跡と数千年の時間の差がある。海底遺跡が正確にいつ海底に没したかは不明だが、都市を離れた人々が内陸で生活を始めた時には当時の高度な文明は失われ石器時代に戻ってしまった可能性がある。
インダス文明では前期文明として前7000年~前5500年まで土器を使わない新石器時代とされている。
とすると、インダス文明に匹敵した高度な文明は海底に没した後に失われたのだろうか。
ここから推察すると、都市はゆっくりではなくごく短期間に海底に沈んだ可能性が高い。多くの住人が都市とともに運命を供にしたのか。それこそが氷河期末の巨大災害、大洪水だったのか。
わたしは氷河期末期には人類は2度の破壊的な巨大災害に巻き込まれたのではないかと考えている。一つは12800年前頃に起きた彗星衝突と大洪水、だがこの時の災害では再び地球が寒冷化し海面上昇は起きなかったと推察される。そしてその後1万年ほど前に理由は不明だが突然氷河期が終わり地球は温暖化し世界の海面はごく短期間に上昇した。その時にも再び大洪水が発生した可能性が高い。この2度目の大洪水がノアの箱舟など世界の神話に伝承されているのではないか。真実は今後の研究調査にゆだねるしかない。

インダス文明ドーラビーダーの都市遺跡。
カンベイ湾の文明を継承、復興した可能性が高い。

その後の海底遺跡の研究が明らかにされない謎

実はカンベイ湾遺跡について、すでに発見から20年も経過しているものの、新たな発見や調査の報告がされていない。(あるいは現地でのみ報告されている?)
当時の記事では現地の考古学者が今後さらにくわしい調査を行うと意気込んでいたがその後、調査はされているのかはわからない。
もしかすると遺跡はインド政府の管理下にあり極秘に調査が行われその内容は秘匿されている可能性もある。その理由はわからないが当時の記事でも人類史を覆す発見とされ世界的に注目されているが、その後の調査発掘に何らかの圧力があったのかもしれない。
あるいはさらに重要な高度文明の証拠(文字や何か)が発見され秘密にされているのか。
南米アマゾンの古代モホス文明も20年前の大規模な発掘調査のあとに、ぷっつりと情報が途切れてしまっている。
重要な情報や証拠を国が管理秘匿しているのだろうか。
最新の研究情報の開示をぜひお願いしたいところだ。


海底から回収された遺物の数々

インダス文明消滅の謎

インダス文明はカンベイ湾文明の跡に復興した文明なのかもしれない。ところでそのインダス文明は紀元前2000年頃に突然消滅した。モヘンジョダロやハラッパーなどの遺跡はある日突然、文明が何らかの異常な出来事により滅んだことが明らかになっている。その異常な出来事とは何だったのか?遺跡からはガラス化した石が発見されたほか、人骨からは異常な放射能が観測されている。インダス文明を襲った災厄の正体は・・・。


岩山を削り作られたエローラ石窟群を作ったのは誰か?

エローラ石窟群の地下都市は大災害からの避難所として作られたのか?その上に寺院が作られた可能性。

カンベイ湾の東南、現在のムンバイの東の岩山に世界遺産のエローラ石窟群がある。定説では紀元5世紀から10世紀の間に、仏教、ヒンズー教、ジャイナ教の宗教施設の数々が建造されたと言われる。驚くことにこれらの石窟群は石材を組み合わせ作ったのではなく大きな岩山をそのまま削り寺院などを作り出したこと。現在も巨大な掘削場の中に精密な寺院群が建立されている。
実はこの石窟群のカイラサナータ寺院の地下には用途不明の地下空間があり、地元の学者もここに地下都市があったと述べている。それらは何のために作られたのか?推測ではこの周辺には同じような地下空間が多数存在するのではないか。トルコのカッパドキアのような地下都市がインドにも存在するのか。
これらは寺院が作られるより相当古い時代に作られたと思われる。つまりここはカンベイ湾古代文明が没した時に避難した人々のシェルターになってのではないだろうか。文明を再興するためのこの場所はのちに聖なる場所となったため、後の宗教でも聖地とし寺院が建立されたと思われる。だが定説では5世紀以後の建設とされるが、当時の人々が数百万トンもの石を削りこの壮大な寺院を作ったとは信じられない。しかもその削った石くずがどこに捨てられたのか現在も不明なのだ。伝説では石を削った時に石くずを蒸気に変えた機械が使われたと伝わっている。これらの寺院の建造についても未知の文明の技術が使用されているのではないだろうか。他の古代遺跡同様、高度な文明を持った者がここに来て建造を手助けしたとは考えられないだろうか。



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