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氷河期文明の真実~氷河期末の大災害で高度文明が消滅、その後、世界各地で文明の勃興に手を貸したのは誰か?1万年以上前に既に高度な文明が存在していた事実。氷河期文明は存在した!

1万3000年前に彗星衝突で滅んだ氷河期文明。生き残った人々が未来の人類に残したメッセージとは?

わたしは子供の頃から古代文明や人類の歴史の謎について興味があり長年にわたり考えてきた。
21世紀の現代文明はいまコロナや戦争という大きな脅威の中にあるが、過去にはさらなる恐るべき脅威により文明が滅びている。
人類の文明は過去に何度も滅び、氷河期時代に今は失われた文明から今の文明が継承されたという説がある。それはあの海底に沈んだと言われる文明なのか?なぜ古代には現在では建造が難しい巨石の遺跡が多いのか?海底から発見される人工物は過去の遺跡なのか?われわれが知る歴史は根底から誤っているのではないか?それらの謎を最新の研究や仮説を元に究明していくつもりです。
そしてなぜその文明は滅んでしまったのか?その原因を追究していくと恐ろしい結論にたどりつく・・。
われわれはどこから来て、どこへ行くのか?
その答えが見つかるかもしれない。


人類の歴史はトルコから始まった??

イントロ~人類史が覆った! 

氷河期に存在した高度な文明「ギョべクリテペ」が人類の歴史を書き換える

さて、あなたは人類の文明は今から約5000年前頃に始まったと歴史の教科書で教わってきただろう。現代の文明は5000年をかけて現在まで進化してきたと。だが事実はもう違うのだ。
5000年前より前には進んだ文明は存在しないというのが定説だったがトルコでの驚くべき発見がその説を覆した。
ギョベクリ・テペ・・日本ではあまり知られていないが、20世紀末にトルコ南部で発見された古代の遺跡は、発掘が行われた結果、驚くべきことが判明した。この遺跡は今から1万2000年前に作られたものだったのだ。
(冒頭の遺跡のイラスト)

石器時代の狩猟民がこの遺跡を作るのは不可能!高度な技術を持った誰かがやって来て作った。

ギョベクリテペはトルコ南部シャンルウルファの近くで偶然発見された遺跡で、発掘された土壌内にある植物などの炭素年代測定で紀元前1万年~8000年頃に作られたことが分かっている。この年代について考古学者も異論を出してはいない。
1万年前の遺跡といっても他にもたくさんあるじゃないかと思うだろうが、同時代にある先史時代の遺跡との違いは一目瞭然である。明らかに古代メソポタミアやギリシャ時代のような高い建築技術が1万2000年前に存在したのだ。
(この遺跡は現在世界遺産に指定されトルコ政府による厚い遺跡管理が行われている。観光名所にもなっている)

巨大な石により建造された神殿

狩猟民の住居跡のようなものではなく、それらは間違いなく大規模な神殿(宗教施設)なのだ。
ちなみにこの遺跡の周辺には人間が住んでいた痕跡はまだ見つかっていない。
特徴としては大きな石積みで円形に作られた建物内部に見たことがないような形の石の柱状のモニュメントが規則正しくそそり立っている。さらに驚くことにその柱には様々な動物や人物がリアルに彫り込まれている。柱も動物も一つの巨大な石を加工して作られている。
柱は一つの重さは10トンから20トンもあり、その場の石で加工されたのではなく別の場所から運ばれたことも分かっている。
現在のところ遺跡から文字らしきものは発見されていないが柱や動物は生と死や星座を表していると専門家は言う。ここで何かの宗教儀式が行われていたことは間違いない。

巨大な柱の下にリアルなジャガー?の立体彫刻
古代の1万3000年前の夜空を表しているという専門家も。レリーフの上部にあるバッグのようなものが3つあるのも謎。古代シュメールでは神々は必ず手に謎のバッグ(バケツ?)を手にして描かれる。その理由は大きな謎だ。

神殿は多数存在、一体どんな目的で?トルコは人類文明再興の地か?

この驚くべき円形神殿は実は一つではない。これまでの探査レーダーなどの調査でこの周辺一体には同じような円形の遺跡が20も確認されている。その範囲は東京ドームほどもある。発掘されているのはそのごく一部なのだ。

では、この神殿が作られた目的は何か?
1万年前といえば日本では縄文時代、世界のほとんどが石器時代で人間は狩猟採集で暮らしていた時代だ。そんな時代にこんな大規模な建造物を作ることが可能だろうか?この遺跡の建造には綿密な設計と高度な建築技術が必要だ。しかも建造には相当数の人間の労力が必要だろう。そもそも何十トンもの石をどうやって切り出し移動させたのか?その方法も不明だ。
当時の狩猟民が宗教的な巨大な建造物を作ることなど前代未聞。とはいえ多くの人間が建造に参加したと考えるのが普通だろう。そしてその主力は近くに住む狩猟民だった可能性はある。
だが、これは彼ら自身が計画、建築したものではないのではないか。別の誰かが計画した?
さらに不思議なことは、これらの神殿は約1000年の間で作られたが最後にはすべて埋められてしまった。まるで将来誰かに見つけてもらい、その真意を理解してもらおうとしているかのようだ。
このような遺跡は実はここだけでない。
ギョベクリテペから遠くない場所にさらに古いと言われるカラハンテペという遺跡も存在し発掘が行われている。そこでも似たような柱が見られる。ここには謎の蛇顔?の人間像がある。

最近になりトルコで1万年以上前の非常に古い遺跡が次々見つかっている。トルコには同じ世界遺産でもあるカッパドキアの巨大な地下都市遺跡もあるほか、聖書ではノアの箱舟はトルコ北部のアララト山にたどりついたと書かれている。
近年の石器時代の遺跡の研究から、人類で最初に農耕がはじまったのはトルコ(小アジア)と言われる。さらにトルコ東部はユーフラテス川の源流があり、川を下れば人類最初の文明の発祥地メソポタミア(イラク周辺)にたどり着く。どうやらトルコには人類の文明発祥に関し重大な秘密と答えが隠されているのではないか。

カラハンテペ遺跡には蛇のような顔の人間の彫像がある
古代のシェルターと言われるカッパドキア。周辺にも複数の地下都市がありそれらが地下道で結ばれていることがわかっている。建造年代は不明だが氷河期末の大災害から避難するために作られた可能性がある。

氷河期末のカタストロフ、彗星がヨーロッパと北米に衝突した。大災害の後に海からやってきた者たち

これら神殿群は現地民でない別の誰か、ある人々がどこからかここに来て、現地の人間たちを集めて神殿作りに参加させたのではないか。その人々とは一体何者なのか?なぜこのような巨大な神殿を作ったのか・・
彼らはギリシャやエジプト文明に匹敵するような知識や技術を持った人々だろうか。あるいは未知の高度な技術を持っていた可能性もある。
近年世界各地で発見されている古代の遺跡から1万年以上前、氷河期末期に世界中には今は知られていない失われた文明が存在したことが明らかになりつつある。プラトンが書いたアトランティス文明かはわからないが、この時期既に地中海を中心に進んだ海洋文明が存在していたのは確かだろう。彼らは氷河期に船でほぼ全世界をめぐっていたと思われる。

そしてその氷河期文明は1万3000年前に巨大な自然の力により消滅してしまったとわたしは考える。最近の地質学研究では今から1万2800年前に、北米からヨーロッパ全域にかけて、彗星が落下した可能性が高いことが明らかになってきた。(地質層にいわゆる絶滅層が確認されている。そこから上からは生き物の死がいが出てこない層)
それは氷河期末に起きた異常な気候変動「ヤンガードライアス」の時期とぴったり重なり、文明崩壊の謎を解明する手がかりになる。
さらに最新の調査でグリーンランドの氷床の下に巨大なクレーターが2つ発見された。北米でも氷河に一部が衝突し、その当時の動物が多数絶滅したと考えられる。
彗星は複数のかけらが当時の氷河に衝突し閉じ込めれていた海水が一気に流れ出すとともに、核爆弾数十発に匹敵する爆発のチリで地球は突然寒冷化したのだ。その天変地異により海岸沿いに存在した文明と数多くの古代の生き物たちが滅んだのだ。(実はその後にも大洪水が発生した可能性がある)
その記憶が伝説となり世界各地に伝承されていく。文明の痕跡のほとんどは現在は海の底にあると研究者も指摘している。(元々氷河期は現在より海抜が100mも下がっていて陸続きの島々も多かった)
その災害を生き延びた氷河期文明の生き残りが、文明を再興するため世界へ旅立ったのか・・


どこからかやって来て巨大建造物を作った者たち。この深淵なテーマの中で最も重要な答えはまだわからない。
だが彼らの存在と正体、そして世界で同じような巨大遺跡を作らせた理由についても迫っていくつもりだ。
彼らの足跡は世界各地の神話や伝承でも確認されている。
オアネス、ビラコチャ、ケツアルコアトルなどなど、
彼らはある日、海からやってきた・・
「髭のある長身の白い人々」
彼らは船で世界をめぐり
各地で文明を発展させたのだ。
あのピラミッドもその一つかもしれない・・

これから彼らの痕跡のあとを追ってみたい・・

われわれ人類の歴史の文明は想像以上に複雑なのかもしれない・・
そして想像以上に古い・・・とても古い・・

シュメールの神話に登場するオアネスとは誰か?
世界各地に髭を伸ばした長身の白人の伝承が残されている


氷河期文明と滅亡、復興の事実を追究したグラハムハンコック。
太古からの啓示はあなたの常識を覆すだろう。



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