見出し画像

《視覚》をハックすること

 土曜の夜の振り返り関連雑記。
 この一週間は、ぐずぐずとインボイス制度への対応をどうしようと迷っていたんですが、そろそろ登録しようかと考えている。単純に言うと、取引相手が企業/事業者だけなら登録した方が良いだろうし、そうでないなら免税業者のままでいる方が良いんだろうけど、両方の人間はどうなんだ? といったところ。登録事業者への救済措置に、まあ何というか、過剰に期待しないよう、そこそこアテにしつつ。以下は私的な覚書のようなもの。

《全体化》の功罪/《全体》崩し/再《全体化》:
 タロットリーディングの指南を受けていた20代、自分にとっての最初の課題は、78枚のカードが世界の《全て》を指すシニフィアンの《全て》であるという設定に慣れることだった。_それが、哲学で言う《全体化》と同じか全然違うのかは知らない。が、その時期に流れていた意識の通奏低音を言語化するとウィトゲンシュタインになった。ような気がした_
 同時に、自分が悪戦苦闘していた《全体化》作業を要領よく、またはあまりに安易に行っているように見えるアニオタ嫌悪が高まっていた。この世界の事象全てを《全体》としてくくるに際、あっさり《不可視化》される領域はあまりに広大だったし、そうやってパッケージ化即ち矮小化された《全体》は、あまりに小さくスカスカに感じられた。
 その後、自分の関心事は、むしろ《全体崩し》を経て《再全体化》へ移っていった_《》内の用語は、すべてかなり勝手な使い方をしています。ちなみに、その際に流れている意識の通奏低音に耳を傾けると何やメイヤスーぽいと感じている_。
 
 昨日、何年振りかで映画のはしごをやった。観たのは『すずめの戸締り』と『ノースマン』やったんですが、ネタバレとかやらかしたくないんで具体的にどこがどうだったは書かない。何と言うか、ジムでストレッチをやってきましたみたいな感じで、私はメモ代わりにこんなツイートをしていた。

ガリバーよろしくナード王国のミニチュア深淵を越え、ミクロ決死隊のごとくHeathen Earthを進む。世界観のストレッチ。

 もう少し言うと、可視化/不可視化されている領域があまりにも大きく感じられるとき、その設定の外へ出たいと思ったとき、いつでも自由に出たり入ったりできるようなコンディションを保っておこう、とも。

感覚をハック? メタバースへの応用がうんぬんされているようですが、私の関心事はまるで逆向き、そういうふうに設定された世界の外へ出ることなので、まずは《視覚》を"ハック”すること。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?