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「あんな人」になりたい/なりたくない


「海の日」かと思ったら「山の日」だった。そうか、海の日は……今年の梅雨は早い目に明けたから良いようなもんですが、梅雨最中の「海の日」ってどうなんか、など一瞬思いつつ。
土曜じゃないけど、「山の日」スペシャルで金曜の、夜ではないが振り返り関連雑記を。

自分は、こうなりたい、こっち方向へ進んでいきたい、その為には……といった要領で、まず、ヴィジョンというかイメージを描き、自分のぶっちゃけの気持掘っていくという営為がある。わざわざ構えてやらずとも、誰もが無意識のうちにやっていることだと思う。
ヴィジョンというのか、「<なりたい自分>をポジティブに描け」的な意見が、自己啓発本(は読まないけど、読んだ人から聞いた話によると)などで当たり前のように主張されているらしい。

私は、自他ともに認める天邪鬼な性格の人間なので割り引いて読んでほしいんですが、何年も先の<ポジティブな_Stay positiveという迷コピーを想起_>ヴィジョンではなく、今どういう選択をするべきかという場合には、むしろ<なりたくない自分>を、具体的にクリアに描く方が役に立ったりする。
例えば、私は、ウイスキーなら5杯以内で止めるようにしているんですが、もう1杯飲みたい誘惑に打ち勝つには、まだ仕事が残っているのに泥酔してしまって使いものにならない、といった<なりたくない自分>をイメージした方が効果的だ。
差し迫った判断とは関係ない場面でも、ネガティブイメージが役に立つ場合は多い。例えば、自分が追い求める<かっこ良さ>とは何か、うまく描けないのなら、逆に自分が避けたい<カッコ悪さ>とは? <ダサい>って何? と、ネガティブイメージを使うことで、<かっこいい>の輪郭がクリアに浮かび上がる。みたいなケースは少なくない。ただし、このやり方は同時に重大な問題をはらむ。
 
効果の大小に止まらず、コモンセンス的にも、<なりたくない>イメージを実在する他人に投影つーか<なりたくない人>を探して、
「あれあれ、俺、あんな奴にだけはなりたないんや!」
とやることには問題が多い_本当はもっと根源的な意味で問題がある_。と、私は考えている。

小学校に入学する前、即ち幼年期の記憶。母親の買い物について行った私は、お菓子をねだってみたところ、さっき食べたとこでしょと一蹴された。が、それでもしつこくねだる私に対して、母親は言った。
「そんないじましい子は、大人になったらあんななってしまうよ!」
彼女が指さす先には、見事なデブもとい肥満体の人がいた。
これ、普通にあったし、昨今は多少減っているとは言え、まったくなくなった訳ではない。

ある時、某国立大卒の一級建築士が作業服姿で測量をしていると、子どもを連れて通りかかった母親から
「勉強しないと、あんななっちゃうよ」
と指さされた。
というネタのような体験談をご本人から聞いたのは、比較的最近の話だ。

なりたい/なりたくない、どっちにしろ、イメージを使う際には、頓珍漢なズレ方をしないよう、細心の注意が必要だ。

そう言やトニー谷主演の映画で、
「人から見上げられる人間になれ」
という父の遺言に従い窓拭き人夫になった男の話があった_露骨な職業差別を含むので、今こんなん撮るのは難しいだろうけど_。


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