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#4 フィールドワーカーのカポエイラ修行録 -本部Batizado-

2023年10月21日
昼14時頃までバチザードやった
めっちゃお腹すいてた記憶。1階のエントランスのところで何待ちかわからん時間あったけどそのときにpao de quijo誰か買うてきてくれててそれ食べてた
その後帰ってそのままSiqioに行った記憶。
シュラスコ食べてパーティ
そこそこに寝た

FNより

この日はバチザードで朝から夜までばたばたでノートを取る暇もなく、記述はこれのみ。思い出しながらBatizadoを振り返っていこう。

*Batizadoとは、カポエイラにおける昇段式のこと。帯の取得や昇段を祝うカポエリスタにとっては非常に重要なイベント。

バチザード会場までは徒歩で10分程度。
初めてのブラジルの町並みだったが、ブラジル人生徒数人に誘導され日本人の先生らと一緒に歩いて行ったので、特に何も思わず雑談しながら会場へ向かった。

道中

会場は2階建てのコミュニティセンターのような建物。
1階にエントランス、トイレ、個室数部屋
2階が大広間になっており、そこが会場だった。

エントランスでぱしゃり

何故かここのトイレについて、鮮明に覚えている。
入って右側の壁に小便器が4つ配置されており、左側に個室3つ(洋式便器)町の雰囲気にしてはトイレはだいぶキレイなほうだと思った。しかし、3つのうち1つはトイレが詰まって使用不可状態で、ほかの便所も昼すぎにはトイレットペーパーが切れていた。
海外のトイレに一切の期待をしていない私はポケットティッシュを常備していたから助かったが、現地の人たちはどうしていたのか。

そんなことはさておき。
2階が大広間になっていて、既に多くのカポエイラの生徒がいた。

動画撮影しかしてなかったことを後悔。

到着して30分ほど経ってBatizadoがスタートした。
私にとって、初めてのブラジルのBatizadoだったが、本当に衝撃的だった。
撮影した動画で当時の気持ちを思い出しつつ、現地で感じたBatizadoについて書いていきたい。

現地Batizado

まずは、驚いたのは人の多さだ。
子どもから大人まで80人はいただろうか。こんなにも大勢の人がカポエイラをしているのかという驚きがあった。

Mesreの家や会場に来るまでに軽く話したおっちゃんやおばちゃんもみな、白いカウサ(ズボン)にコード(帯)を巻いている。
会う人すべてカポエリスタだった。しかも、動きのレベルも段違いで、自分の年齢と同じカポエイラ歴を持つ者もざらにいた。

日本のカポエイラ団体すべてを含めてもMestreクラスはおそらく10人もいないだろうが、ここにはContra Mestre以上のRodaが十分に成立するほどだった。

Mestreの昇段

現地のRodaの熱量について少し語りたい。

すべての昇段者のRodaの後にMestreらのRodaがあったが、これは自分からすれば異常と言えるほど熱に溢れていた。

人数の多さに比例して歌声や歓声も大きくなり、量・質ともに最高のカポエリスタがJogar(遊び、見せ合い)なJogoからLutar(格闘技的)なJogoまで大迫力で展開されていった。
そのように熱狂的なお祭りと化したRodaは一見カオスな雰囲気に思えるが、あくまでカポエイラ(の技、動き、展開)に則ってJogoが紡がれていく。
また、Rodaの正面には子どもが座っているので、必要に応じて中上級者のカポエリスタが適宜守るように動いていた。(それでもRodaの正面から子どもたちをどかすことはしない)

Rodaの様子

とはいえ、Jogoがエスカレートする瞬間はあった。一方が相手に直接的に当てに行くようなハステイラやマテーロが増え、それに対してもう一方もより攻撃的に技を浴びせる。そうこうするうちにJingaのリズムも無視した蹴り合いになってくる。そうなるとどちらかが冷静になってJogoを中断するか、そうでなければ取っ組み合いになりその場の皆で止めにいくことになった。

いざこざがある程度止められた後はすぐさまRodaの手前から2人のプレイヤーがJogoをスタートし同様に展開していった。こうしてまた秩序だったRodaへと戻っていく。
このとき、Jogoの「熱い」展開は0からリスタートされるのではなく、部分的にその熱気が保存され、秩序だった状態でどんどんと展開が激しくなる。

改めてこの熱気はどこに保存されているのかと考えると、
おそらく周囲の歓声や楽器、歌声(つまりは場のノリ)なのだろうと思う。

熱意があふれ出し、戦いと化したJogoはすぐに収められるが、その様は見るものを熱狂させ、周囲のプレイヤーはそれに歓声を送る。「これこそRodaだ!」と言わんばかりに手拍子を強くしたり、跳びながら両手をあげて「もっと盛り上がれ!」と周囲を煽ったりする者も出てくる(このような行動はBatizadoに限らず現地のカポエイラでよく見られたし、その行為はRodaの重要な構成要素であった)。
手拍子や歓声に呼応して歌声は大きくなり、楽器の演奏も激しくなる。秩序が戻りJogoがリスタートされても、それまでの展開で生まれた熱気は周囲に保存され、音としてプレイヤーに回帰し、たぎらせる。
Rodaは、秩序と、混沌を孕んだ熱意が共存しており、揺れ動きながら「熱のある秩序」を生んでいた。

このような熱の保存と秩序の再編は、程度が違えど日本でも起こっているような気がするが、ただ日本の場合は秩序が強すぎて、揺れ動きがめったに起こらないだろう。

「ホンモノ」のカポエイラ。その一端に触れた気がした。