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バレエ感想「マノン」英国ロイヤルバレエ in Cinema

2月にパリオペラ座バレエ団が東京で「マノン」を上演したという事もあってか、日本バレエファンの間では「マノン」熱が高まっていると思う。そして「マノン」熱が高まっているのは日本だけでなく、マクミラン版の初演から50周年と言うことで、イギリスでもかなり熱が高まっている。今回はそんな熱気あふれるロンドンの「マノン」を日本で見れると言うことで楽しみに映画館に向かった。


ロイヤルバレエ「マノン」感想

まず結論から言うと、ナタリア・オシポワの凄さに圧倒された。正直この映画はオシポワがいなかったら物語として成り立たなかったと思う。

その理由として、デ・グリュー役のリース・クラークは長身でとてもハンサムなダンサーだが、申し訳ないけれど綺麗なだけで本当に退屈だった。リースはバレエダンサーとしての身体的素質に恵まれていて本当に美しいのだが、演技力が欠如しており、演技の部分は見ていられるものではなかった。
「グラン・パ・クラシック」や「ダイヤモンド」などストーリーがないバレエなら、リースの美しさを十分に楽しく堪能できただろうが、しかし「マノン」のように演技力が求められる作品は見た目の美しさだけでは誤魔化せないと映画を見て感じた。周りを固めるオシポワだけでなく、ギャリー・エイヴィスやエリザベス・マクゴリアン、そして後ろにいる熟練の役者達の演技の上手さが際立っていて、余計リースの演技力の無さが目立ってしまった。

どれだけリースの演技が酷かったかと言うと、例えば私はマノンの「出会いのパドドゥ」が一番好きなのだが、あれだけ退屈で眠気を誘ったソロは初めて見た。リースは美しい。長身で手足も長く、ポジションも綺麗だ。しかしマノンに一目惚れして、恋する男性という要素は感じず、ただ「綺麗に踊ろう。綺麗に見せよう」ということしか考えていないなと感じてしまった。これは出会いの場面だけでなく、全体を通してリースは「自分が綺麗に踊ること、観客から綺麗に見えること」しか考えていないのではないかと感じた。

しかし!さすがはオシポワである!前述の出会いの場も、オシポワが踊り出した瞬間に、映画はただのイケメン鑑賞会から物語となった。出会いのパドドゥでオシポワが踊り出した瞬間、一気に「マノン」物語に引き込まれた。
以前NBAバレエ団芸術監督の久保綋一さんが「熟練のダンサーが、若いパートナーの経験の浅さをカバーし、円熟したダンサーであるかのように輝かせる」といった内容を著書に書いていたが、優れたダンサーは自分が上手に踊るだけでなく、経験が足りない相手と組んでもその相手を上手に見せるように踊る。
今回のオシポワが行っていたことはまさにそれで、オシポワ自身も役を生き、上手に踊って観客を惹きつけるだけでなく、一緒に踊ってるリース・クラークまで上手に見せる。オシポワと踊っているリースは本当にオシポワと同等の一流の踊り手にしか見えず、あの綺麗なだけで見た目以外は退屈なリースをあそこまで一流のダンサーに見せるオシポワの手腕に恐れ入った。

とにかくデ・グリュー役のリース・クラークがあまりにも頼りないので、ナタリア・オシポワが1人で舞台を引っ張らざるを得ないかと思っていたが、ムッシューGMを演じたギャリー・エイヴィスも素晴らしかった。
もの凄くいやらしく、お金に物を言わせる冷酷な人物像である。1幕で登場したばかりのマノンをリフトする瞬間から、マノンを視線で舐めまわし、リフトを下ろす瞬間に体をさりげなく触るなど、いやらしさ満点である。オシポワもギャリー演じるムッシューGMを本気で嫌がっており、ギャリーと一緒のシーンでは演技力が炸裂していた。自らが嫌なキャラクターを演じ切るだけでなく、これだけの嫌悪感や演劇性をパートナーから引き出すギャリーの実力の高さが画面越しでも伝わってきた。
ギャリーの何が凄いかというと、観客はこんなキャラクターであってもそこまで嫌悪感を抱かず、変に現実に戻らずに物語に没頭できるのである。これだけ汚い性格の人間を演じながらも、観客の興味を惹き続ける演技力は随一だと思う。

2幕は娼館のシーンから始まるのだが、ここでダンシング・ジェントルメンを演じていたジョセフ・シセンズがとても目を引いた。カルヴィン・リチャードソンとルカ・アクリと一緒に踊ったトロワがあるのだが、ジョセフはアチチュードもアラセゴンも伸びやかでポジションの一つ一つが本当に美しく、気がついたらジョセフを見ていた。もの凄くラインが綺麗で、人目を引くダンサーだと思った。

マノンの兄レスコーを演じたアレクサンダー・キャンベルは、正直今までのドンキホーテのシネマなどではあまり魅力を感じなかった。しかし、2幕のお酒を飲んで酔っ払った様子を表すソロには脱帽した。オペラ座のダンサー達を見た時は、みんな頑張って酔っ払っている演技をしていると言う印象を受けた。しかし、キャンベルのレスコーは本気で酔っ払っていて、本気で滑って転んでいるという印象を受けた。
レスコーの愛人を演じたマヤラ・マグリもとても上手で、1幕でもこの時代の女性が置かれた厳しい現実を細かな表情から見せてくれた。2幕でも酔っ払いのレスコーと一緒に踊っている時は、本物の酔っ払いを相手にしているようで印象的だった。マヤラ自身が明るくて魅力的なので、ソロも素敵だったし、パドドゥもお互いがパートナリングが上手で見ていてとても楽しかった。このペアは本当に凄いと思った。

ムッシューGMを演じたギャリー・エイヴィス、娼館のマダムを演じたエリザベス・マクゴリアン、そして娼館の客役のクリストファー・サウンダースとトーマス・ホワイトヘッドなどの、プリンシパル・キャラクター・アーティスト達は見事である。彼らはバレエダンサーであるが、俳優でもある。彼らがいるだけで、観客は物語に引き込まれ続けずにはいられなかった。

そして申し訳ないが、踊りだけでなく表情や視線など全てから感情を伝えるオシポワのマノンに比べて、2幕でもリース・クラークのデ・グリューは相変わらず感情に乏しく演技力の欠如を感じずにはいられなかった。つまらないイケメンという印象。
だが、リースは本当に若くて美しい。あれだけの美しさを持ち、女性をリスペクトしてくれる男性にマノンが惹かれる気持ちはよくわかる。でも観客としては見ていてつまらない。リースが踊ると場面が白けてしまうが、ロイヤルバレエの凄いところは脇役が強く、周りのカバー力があるところだと思う。

やはり2幕でもギャリー・エイヴィスはさすがである。いやらしさだけでなく、激昂する様子や、相手を追い詰める様子など、どこまでも冷酷で、金に物言わせてる特権階級をよく表している。レスコーをピストルで撃ち殺した後に、レスコーを蹴り飛ばしたり、マノンを押さえつけたり、特権階級の人間にとって人の命がいかに軽いかよく分かる秀逸な演技だと思った。

3幕はパリから流刑地のアメリカのルイジアナに舞台が移るのだが、看守のルーカス・ビヨルンボー・ブレンツロドが長身だからなのか、周りを固める警官も長身のダンサーが多く、ダイナミックで見応えがあった。
3幕では夫婦と偽ってアメリカにやってきたマノンが看守に目をつけられてしまい連れ去られるのだが、やはりリース・クラークの棒演技が酷く、「お前こんなところで綺麗に踊ってる暇あるんか。早く追いかけろや」と心の中で毒づかずにはいられなかった😂

看守のルーカスは野蛮で怖い様子を表そうとしてたのだろうが、オペラ座の冷酷な看守達を見た後だと特に印象には残らなかった。レイプシーンもオシポワは全力で拒否しているのだが、ルーカスはおそらく性根が優しいのだろう。どこかエネルギーの力量がオシポワと釣り合っておらず、レイプされるマノンの悲惨さがあまり感じられないシーンとなった気がした。

沼地のシーンはオシポワが秀逸だった。体格はいいのだが、疲れ切って歩けなくなる様子をよく表していて、今にも死にそうな様子である。最後に幻覚に襲われる様子も凄まじかった。
デ・グリューを演じたリース・クラークもようやく感情が昂ってきたのか、頑張っている様子はよく伝わってきた。しかし最後の最後に大泣きするリースを見て私が感じたのは「真っ白で綺麗な歯。銀歯がなくていいね」というくだらない感想なので、やはり今のリースにはオシポワほどの演技力や、観客を引き込む力はないと思った。

ギャリー・エイヴィスを見てダンサーの長期キャリアについて考えてみた

今回のロイヤルバレエ団「マノン」を見て、ギャリー・エイヴィス、エリザベス・マクゴリアン、クリストファー・サウンダース、トーマス・ホワイトヘッドなどの、プリンシパル・キャラクター・アーティストらの演技力、そして存在感の大きさに圧倒された。彼らがいるだけで、観客は物語に引き込まれ、18世紀のフランスに連れて行かれるのである。

残念ながら日本ではヨーロッパのようにダンサー達の立場が確立しておらず、基本的に一部の熱狂的なファンが騒いでいるだけで、一般の人はバレエダンサーのことを知らず、バレエのことも知らない。
日本ではダンサーは40前後で現役を引退したら、フリーランスとして踊るか、スタジオの講師になる道しかない。最近では東京バレエ団の奈良春夏さんが王妃役などで舞台にカムバックしているが、そのような例はあまり見られず、引退したダンサーが舞台に戻る機会は少ない。

ロイヤルバレエ団の存在感抜群のプリンシパル・キャラクター・アーティスト達を見て、ダンサーのセカンドキャリアとして彼らのような味のある演技で魅せてくれる道が拓かれるようになって欲しいと願わずにはいられなかった。

ナタリア・オシポワの凄さについて

ナタリア・オシポワは世界一人気があるバレエダンサーの1人だと思う。彼女の高いジャンプや力強い踊りなど身体能力の高さはもの凄いのだが、今回のマノンを見て、オシポワは若いパートナーを育てる能力が傑出しているのではないかと思った。
例えば、オシポワの今までのパートナーと言えば、イワン・ワシーリエフやセルゲイ・ポルーニンなどが有名であるが、ロイヤルに移籍し最近はリース・クラークと踊ることが多い印象である。

ワシーリエフもポルーニンも元々知名度はあったが、オシポワと踊るようになってから、オシポワとのコンビは大人気となった印象である。人気が高まっただけでなく、ダンサーとしての知名度や技術も上がり、世界中で引っ張りだことなった気がする。オシポワが彼らを育てた部分もあるのではないだろうか。

今回のリースは綺麗なだけで私は退屈な印象を受けたが、オシポワと組んでいくことにより上述の2人のように、いずれは世界で引っ張りだこのダンサーとなっていくかもしれないと思った。

日本にパートナリングが上手なダンサーはいるのか?

上述したが、今回はナタリア・オシポワやギャリー・エイヴィスのように、一緒に踊ることにより相手をさらに上手に見せたり、相手の演劇的な一面を引き立てるダンサーの重要さをかなり感じた映画であった。このようなダンサーはあまりいないので英国ロイヤル・バレエ団の層の厚さを思い知らされた。

映画を見ながら「一緒に踊ることにより相手を上手に見せ、相手のいい部分を引き出すダンサー」について考えさせられたのだが、その時ふと以前見た新国立劇場バレエ団ファースト・ソリストの中家正博さんのバジルを思い出した。久保綋一さんの本にもあったが本当に上手なダンサーはソロで上手に踊るだけでなく、どんな相手と一緒に踊っても相手を綺麗に見せると思う。

中家さんのパートナリングは素人の私が見ても、とても安定しており、パートナーだった小野絢子さんが普段よりのびのび自由に踊れているように見えた。もちろん絢子さんはプリンシパルだし、彼女自身の力量も相当である。しかし中家さんと一緒に踊っている彼女が普段より綺麗に見え、コミカルな部分も引き出されていたように見えたのは確かである。くるみ割り人形などでも中家さんはとにかくサポートが安定していて、彼と組んでいる女性はとても踊りやすそうだったのを思い出した。

日本には上手なダンサーが沢山いるが、ソロは上手だが、相手を引き立たせるパートナリングを見せるダンサーはほとんどいないと思う。プリンシパルを始めとし、日本のバレエダンサーは自分の超絶技巧や派手さを見せつけるダンサーばかりな気がする。中家さんは「俺が!俺が!俺を見ろ!」とアピールに走るというよりも、着々と全てのことをこなす堅実さがある。その上パートナーのことを綺麗に見せるだけの技術もあると思う。沢山の舞台を見てきたが、これができるダンサーはほとんどいない。日本では中家さん以外は思いつかなかった。
なぜこんな技量を持った中家さんがプリンシパルでないのだろうか。自分の凄さを見せるより、パートナーのバレリーナを輝かせることが出来るダンサーなんて滅多にいないし、ものすごく希少価値が高いのに。

おまけ:パリ・オペラ座バレエ団「マノン」感想

2月に来日公演を行ったパリ・オペラ座バレエ団の「マノン」についての感想はこちら。


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