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はじめに
ずっとエッセイを書きたかった。
日常のことを。
小学生の時に紫式部や清少納言のことを知り、特に「春はあけぼの…」で有名な枕草子の世界観に憧れた。
あんなふうに季節を自分の言葉で捉えてみたい。感じてみたい。
そんな思いが募り募って、10歳だった私はもうアラフォーとアラフィフのど真ん中。
40代半ばになった今、季節はもとより更年期を迎えて揺れ動く自分の輪郭を捉えてみようと今回思い立ち念願のエッセイを書いてみることにした。
じゃぁ一体何を書くか。
事実、今現在の私は立ち止まってその日その日を書こうとするにはあまりに慌ただしすぎる。
手帳には1日あったこと、感じたことを簡単に記してはいる。
ただそれは単なる備忘録にすぎない。
奥行きがない。ただの表面積的な感覚のもの。
創作意欲と現実がめりめりと音をたてて引き裂かれていくような。
そしてある日突然ビリッとついに破れたその時に浮かんだのが「私と◯△⬜︎」というタイトルだった。
そうだ、"私"を軸にして私と何かの関係を、私がそのものや人、サービス、作業、場所あるいは感情や言葉をどう捉えているのかを書いてみよう。
例えば「私と家族」「私とキッチン」「私とSNS」「私と罪悪感」などなど私のそばにある人や物などから私から発する感情までと多岐にわたる。
これらと文章という力で、私の輪郭をかたちづくってみよう。
日常を書き続けることで、自分とより触れ合え、自身との親和性が高くなっていくのではとも考えている。
それは私自身が最近思う、変わろうとしなくても変わっていっているという流れに近いようにも思う。
枕草子は一条天皇に見放され、寂しさの渦中にいた中宮藤原定子を少しでも元気づけるために書き始めたものだという説もある。
私は私のために、このエッセイを書き始めようと思う。
スタエフで声のエッセイも始めました。
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