私と家族
このエッセイを書こうと思ったあたり、この「家族」という大枠過ぎるところは一回通っておこうと、第一回目に選んだ。
というのも「家族」ってものが私にとって、”安心安全な場所である”・・・べきであり、そうあってほしいとせつに願い、そうあろうと心がけるところが私の生活を語るにあたって切っても切れないものだから。
ただ正直なところ、とんでもなく面倒くさくて、厄介で、天変地異のように予期せぬ時に私の気持ちをぐわんぐわんと揺さぶってくるというのが現実。
その揺さぶられで脳震盪を起こすと私は、消えてしまいたいと思ったり、まだ意識が多少ある場合は盗んだバイクで走り出したいと思ったり。
とにかくこの「家族」という枠から私をつまみ出してしまいたいと考える。
思い起こせば、結構前からその気持ちがある。
まだ小学生だった頃、日曜の朝早起きをしてしんとしているリビングがなんだか心細くテレビをつけた時にあの、なんとも悲しげなメロディと共に画面に表示された言葉を見て、ハッとしたのを今でも覚えている。
「遠くへいきたい」
恐らく小3くらいだったろう私、その言葉を呟かずにはいられなかった。
その次の週もこっそり早起きをして渡辺文雄さんと旅をした。
当時、近所の駄菓子屋、駅前の商店街にある文房具屋さん、本屋さんに毎月”りぼん”というコミック雑誌を買いに行くというのが私にとっての行動範囲だったので、この番組を見て私にはここではない場所もあるのかもしれないと淡い期待を持った。
この頃、父と母方の祖父の不仲をはっきりと理解しており、家の中の空気のひりつきを感じ、まるで標高の高い山の上で暮らしているような息苦しさがあった。
なので日曜の早起きしてのこの時間は下山して、深呼吸できるような格別な時間だった。
そんな中、同居するきっかけになったのが私が生まれたからだということを父からも祖父からも聞かされ、しまいには同居するにあたって、可愛がっていたインコが数匹いたけれど私になにか病気とか?悪影響があるといけないとなくなく手放したなんてことまで言われたもんだから、まだ10歳にもならない私はひどく動揺した。
そしてこう思った。
私が生まれなければ同居はしなくてよくて、2人はこんなに仲悪くならなかったのかもしれない。インコも手放さないでおいておけたんだろう。なんで私、この家の子にうまれちゃったんだ。この家の中のひりつきも息苦しさも全部私のせいなのか・・と。
そしてその時、渡辺さんとの「遠くへ行きたい」以上の「消えてしまいたい」という気持ちになった。
多分そのころから、「家族」に私が存在してもいいという”安心安全な【心】の場所”を求め始めたようにも思う。
けれどそれが少しでも揺らいだ時、存在をまるで吸血鬼が日光にあたり、砂になりさらさらさらと風にふかれて跡形もなくなってしまうように、私もそうなれたら・・・なんてことも願うようになった。
とりあえず、18になった私は大学進学を機に家を出た。実質的に下山したのだ。
下山した後、結婚するまでひとりで暮らしていたのだけれど、銀行の残高が50円になった時も、仕事があまりにハードで20代前半で肩があがらなくなった時も、付き合っていた人が浮気してても、振られても、消えたいや遠くに行きたいと思うことはほぼなかったように思う。
やはり私が大きく揺さぶられるのは「家族」が絡んでいる時。
現在は結婚し、夫と娘と息子との4人家族。
何かしら悩むことがあり、ふいうちであの波がやってくる。
なんなら今ビッグウェーブがやってきてる。
日常の面倒くさくて厄介でいて鬱陶しいことが積もり積もって、心の脳震盪が頻発し、限界に達しようとしている。
先日、急に思いつき「出かけてくる」と伝えてひとりで珈琲店に行き、普段なら絶対に頼まないウィンナアイスコーヒーを飲みながら、なんでこんなにもしんどいのかなぁとぼんやり考えてみたら、私は背負いすぎてるということに気が付いた。
特に子供達に対して、私ではどうしようもできないことでもなんとかしようとまるで自分の人生のごとく考え、悩んでいる。
そして過去も父の苦しみ、祖父の憤り、そして2人の仲の悪さにやるせ無い気持ちの母や我関せず…いやむしろ煽っていた祖母、それらを敏感に察知してまだ10歳の私はそのみんなの気持ちをしっかりと背負って、私がなんとかしなければと毎日高山で生活していのだ。
背負うことは、私にとって私が存在してもいい。
ここにいてもいいと思うために必要だった。
けれど夫と出会い、当時はとても素直にいろんな話ができた。
この人となら…私がそのままで存在していいはずだと思い結婚し、子供が生まれ今の家族が私の"安心安全な場所"となった。
私は下山し、山の麓で理想の家族を持ち、幸せに暮らしましたとさで永遠に続くハッピーエンドのはずが、気がつくと私はまた背負っていた。
この家族としての幸せをキープするためにと他の3人の人生ごと背負おっていたのだ。ある意味支配に近い。
さらに、過去に自分が求めても得られなかった安心感をさらに強固にするために、家族たるものかくあるべしと思い描く理想の家族像に固執し、その私の理想を夫と子供達に求め、その家族像の型にはめようとし、なんとあの息苦しくしんどかった高山時代の空気を山頂からせっせと取り込んでいたのだ!
末恐ろしい。
そしてしまいめには、こんなのしんどい…、どうして私はこんなに重たい荷物を持たなくちゃいけないのかと悲観し、守ろうとしているものすら全て放棄したくなり、また消えたくもなる。
なんという一人芝居。
もうおひらきにしよう。
こんな茶番はやめよう。
家族を解散するのではなく、私のかくあるべしを緩めよう。
私は私の荷物だけを持とう。
そして皆にそれぞれの荷物を返そう。
必要な時に自分が持っていないものがあれば、誰かに頼み、助け合おう。
そうすることで、家族も私も自由になる。
だからといって、居場所はなくならない。
ここがあることで自分の行きたいところへ行き、したいことをすることができる。そして帰ってくることもできる。
「家族」は"安心安全"そして"自由"な場所へとこれから変容していく。
そんな予感がしている。
ウィンナコーヒーを飲み終わる頃には、そんなを思いながら、まだ少しコーヒーに浮かんでいるホイップをひとなめにして席をたった。
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