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満足できない人

なんでこうなったのか。今ちょっと考えたりしている。昔はこんなことなかった。なんでだろう。

利己的になり過ぎた?

誰しも損することは嫌だ。けど、損得ばかりにとらわれると本質を失うのかもしれない。

私は最近損得しか考えていなかった。

どれがお得なのか?

でもそればかり考えていると、楽しむことを忘れて自分が苦しくなる。

どれが本当に得なのかわからなくなり、焦って、人を疑って。。ときには攻撃的になる。

これは楽しめているとは言えないよね。

私の一つの人生のキーワードは、楽しむということだ。

どんなことであっても楽しく冗談を言いながらやりたい。

でも損はしたくない。この気持ちが拮抗して割と頻回に心を乱してくる。

本質を忘れるな。

私は楽しく生きたいのだ。

損得にとらわれると満足できない?

実体験を通してそう考える。

あまりにも損得に執着しすぎると、不満箇所をあら探ししてしまう。

これが満足できないという気持ちを産み出し、負の連鎖で気分が落ち込む。

損得ばかりに気を取られると永遠に不満を吐き出すマシーンになっていくようだ。

こんなもんかな

そう思うようにしている。望み過ぎても現実とのギャップで苦しくなる。

自分でコントロールできるもの、例えば何か手作りのものならば自分の望むままにやれるし、そうすればいい。

だけど、自分じゃどうしようもないこと、自分一人では変更できないことに関しては、望み過ぎても疲れてしまう。

こんなもんかもな。

そう思ったほうが楽になる。

諦めかもしれない。

そこで、いやでもでも!って奮起してさらに上を目指すのも良し。

自分にその気力があればね。

ただ、でもでもって思っていると、延々とでもでもって次を求める可能性もある。

どこかで妥協は必要。

楽しみたい気持ちが行方不明

それでも昔は、自然と運がやってきたように思う。

辛いことたくさんあったけど、楽しいこともたくさんあった。全ては覚えていないけど、楽しかったということは鮮明に覚えている。

昔と違う点は何?

今もだけど、昔のほうが好奇心旺盛で、血気盛んだった。

とにかく任されたことは自分の力の限りやりたいし、

困っている人は手伝いたいし、

相手が喜んでくれることは進んでやっていた。

そうすると自然と幸運がやってきたように思う。

昔は今ほど疑心暗鬼ではなかったし、騙された!なんて思うことも気づいてないだけだが、無かった。。

なんで?

恐らく飛び込むのが怖くなり、

疑心暗鬼になりすぎて求め過ぎてしまっているのかもしれない。

求めすぎても得られないことが多い。

小さな親切で幸福を貯蓄する

勝間和代氏が何という言葉で表していたか忘れたけどこんな内容を話していて、至極納得したのを覚えている。

ちょっとずつ、相手のためになることを、ちょっとした親切?みたいなことをしていくうちに、自分に還元されるという考えかただ。

精神論的に思うかもしれない。

だけど、私はこれはすごく納得した。

ちょっとした、例えば電車で席を譲ったり、バスの運転手さんにありがとうと言ったり、そんなことをしていると、

自分の気持ちが明るくなる。

例えそれが、自分に返還されなくてもね。

そんな前向きな気持ちが幸運や幸福を引き寄せるのかもしれないと思う。

これが今と昔の違いかもしれない。

じゃあなんでできなくなったのか?

きっと損得にとらわれてしまったからだ。

損はしたくない。得をしたい。この気持ちが強すぎて私を変えてしまった。

挨拶から始めよう

いきなり、色々始めるのはストレスだし続かない。ちょっとしたことから始めよう。

まずは挨拶から。

同じマンションの人や、配達の人、レジの人、バスの運転手さんなどなど。

ちょっとしたことだけど、自分のために、そしてお互いが過ごしやすくするためにも。

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