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しきから聞いた話 187 カラスの水場

「カラスの水場」


 早朝、駅まで歩く道すがら、スズメ達の話し声が耳に留まった。

「暑い あつい
「なんだってこんな朝から、こんなに暑いのかね
「水浴びしたいなぁ
「町のキツネが、水場を作ったって
「あぁ、聞いたよ でもそれ、あいつがふれ回ってるんだろ
「水浴びしたいねぇ

 大きな車がごうっと通り過ぎ、スズメ達は、パッと飛び立っていった。

 いま、6時を過ぎたくらいだというのに、もう陽が高く、じりじりと焼かれるような暑さだ。スズメでなくとも、ざぶりと水浴びしたくなる。
 だが、キツネの水場とは初耳だ。しかも、ふれ回っているあいつとは、誰だろう。

 そんなことをつらつらと考えながら用事を済ませ、昼前には町のキツネ、つまりは葬儀屋のもとを訪ねていた。

「あら、こんにちは。暑いですね」

 事務員のタヌキ女史が、愛想良く笑う。キツネはお稲荷さんかね、と問うと、さらに笑ってうなずいた。

 裏手の山の方に上がっていくと、キツネが大事に祀っている稲荷があり、その横を小川が流れている。その岸に手を入れ、川に堰を作って、いけすのようにしたり、子供達の水遊び場にしたり、キツネはこれまであれこれと、人のため、生き物達のために工夫をしてきた。
 さて。今度は、何を始めたのだろう。

「おや、いらっしゃい。今日も暑いねぇ」

 キツネはスーツのズボンをひざまでまくり上げ、川の中にいた。

 ずいぶん以前に山から町へ下りて、葬儀屋を始めたキツネは、自分と同じように町で暮らしたいと望む山のもの達の面倒も見てきた。口は悪いが、心根の優しいキツネだ。
 だが、今日のキツネの傍にいたのは、山のものではなかった。

「ギャア これじゃまだ深い。もっと浅くしないと、小鳥なんざ溺れちまうよ」

 カラスだ。
 キツネのすぐ傍で、一緒に川の中に入っている。
 翼をバサバサとばたつかせ、何やら文句をつけているようだ。

「なんだよ、まだ浅くしろってか。それだと水がすぐぬるくなっちまわないかな
「だから流すんだよ 流していれば、冷たいだろ
「それだと、鳥まで流されねぇかな
「そっちから、こっちへ流せよ だったらゆるく流れるだろ
「はいはい 言うのはカンタンだよ。ちょっと待ってろ

 なるほど。
 今朝方、スズメ達が噂をしていたのは、この小川のことか。

「スズメ達が噂してた? それじゃ、来るかな」

 キツネがカラスにそう言うと、カラスはふんとそっぽを向いた。

「さぁね 知ったこっちゃない」

 ひねくれカラスの憎まれ口に、キツネがふふっと笑う。

「こないだの大雨で、田んぼやら川やら、様子が変わっちまったでしょ、そのうえ、ここんとこでいきなり暑くなって、町の公園の水場では、やたらと人が増えたりして、スズメがずっと便利にしてた行水場所が、使えないんだって。そんな話を、こいつが、ね」

 そうか。カラスの発案か。

「でもこいつ、小さな鳥達には、嫌われてるからねぇ」
「ギャア うるさいっ」

 カラスが小鳥に嫌われるのは、仕方のないことだ。体の大きさも、食性も、違い過ぎて相容れないのが、自然なのだ。

「でもこいつは、ね、ほんとは昔から、小鳥には優しかったんだよ」

 カラスは雑食性だ。必ずしも小鳥の卵やひなをとらなくても、生きていくのに困りはしないだろう。
 決して小鳥を害することのないカラスだとして、それでもカラスの姿形をしていれば、小鳥達は警戒し、忌み嫌いすらするやもしれない。

 それでも

「ギャアギャア鳴かないように気をつけてさ、水浴びできるぞーって 繰り返し言って回ってたら、そのうち来るさ。なぁ」

 そうとも。

「ふんっ」

 ひねくれカラスは、そっぽを向く。

 いやしかし、どうだろう。
 案外早く、カラスの心は通じているかもしれない。
 それともただ、この暑さのゆえか。

 水場の様子をまずは見に来たものか、ひと群れのスズメ達が、小川の向こうの木の枝にとまって、じっとこちらを見ているようだ。

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