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しきから聞いた話 127 白いトナカイ

「白いトナカイ」

 師走の三日目、夕刻の駅前通りには、身を切るような木枯らしが吹いていた。

 ついついうつむきがちになり、何を考えるでもなく歩いていたとき、左手のビルの中から呼ばれて、足を止めた。
 いや、確かに呼ぶ声を聞いたはずだが、そちらを見ても誰もいない。おかしいなと思ってあたりを見回したが、ひとの気配すらない。まあ、いいか、と歩き出そうとして、また呼ばれた。

「やあ、頼まれてくれ、なあ」

 今度こそ、声の出どころを確信してそちらを見ると、そこには中型犬ほどの大きさの、真っ白いトナカイがいた。

「おう。わかってくれたか。こっちこっち」

 トナカイはもちろん生身ではなく、この時期あちこちで見かける電飾、つまりイルミネーションだった。
 置かれているのは5階建てビルの1階、自動ドアの内側で、そのビルの2階にある生命保険事務所の、大きなポップの横に、小さなクリスマスツリーと並んでいた。
 ツリーは色とりどりに飾られているが、トナカイは白一色、どちらも小さな電球が明滅し、この時期ならではの暖かみを感じさせてくれた。

 自動ドアの脇に立って、トナカイに目を向けると、白い電球をぴかぴかさせながら、こんなことを言った。

「その前に立って、扉を開けてくれないか。どうもこの中は暖房が効き過ぎて、暑いったらない」

 言われるままに自動ドアの前に立つ。すうっと扉が開いて、外の冷気が流れ込んでゆく。

「ああ、気持ちいい、外はいい風が吹いているなあ」

 あんまり気持ち良さげに言うものだから、しばらく扉の前に立って、トナカイのもらす溜め息のような、太息のようなものを聞いていた。なんだか、温泉につかる中年男のようなトナカイだ。

「あ、帰ってきた、ちょっとこっちに寄って」

 振り向くと、スーツ姿の三十代と思しき男性がふたり、足早に入って来た。
 すっ、と、トナカイの気配が弱くなる。
 ふたりはこちらを気にも留めず、奥のエレベーターに乗り込み、姿を消した。

「あぶない、あぶない、敏い奴は、気付いて電源抜きやがるからな」

 純白のトナカイの、なんと口の悪いことか。

「いやしかし、ありがとうよ。いい気分転換になったよ。できたら毎日いま時分に来て、涼しい風を入れてくれないかなぁ。いやね、時々、用も無いのに扉を開けてくれる奴はいるんだよ。こうして無駄に、きらきらぴかぴかしてると「あら、キレイ」なんつって入ってくるのがさ。でもほら、そういう輩の前では、息をひそめていないとさ」

 口は悪いが、心根までは悪くなさそうだ。
 それじゃ、きっと明日も来られると思うから、と言って、その日は帰った。

 約束通りに翌日も自動ドアを開けてやると、トナカイはせいせいしたように「ありがとよ」と言ってから、一日をここで過ごして見聞きするもの、などの話を聞かせてくれた。

 どうしてこんなふうに喋れるようになったのか、本人にもわからないらしい。ただ、自分がクリスマスのために飾られていることや、本来ならばサンタクロースがいるべきだ、などということは、よく知っていた。そして、自分は寒いところの生き物だから、外にいたいのが本心だが、ここでおとなしくしていることで、通りがかる人達が幸せそうな笑顔になるのは、とても嬉しいと言った。

「どこの誰だか知らねえけど、こっち見てにこにこするのは、いいことだよ。むずかしいことなんかいいから、楽しくしてねえと、な」

 結局、毎日というわけにはいかなかったが、10回くらいは自動ドアを開けてやった。そして、いよいよ明日がクリスマスイブという日、初めてトナカイに呼び止められたときと同じような、冷たい木枯らしが吹いていた。

「ああ、いい風だ」

 トナカイは機嫌が良さそうだ。

「今年も、立ちん坊は明日までだな。でも、今年は、あんたが来てくれたから、楽しかったよ。あ、そうだ、そのツリーに袋が吊ってあるだろ、菓子が入ってるから、持っていきなよ」

 いやいや、そんな気遣いは無用だ。

「なに遠慮してんだよ、いいんだよ、2階の保険屋が客に配る菓子なんだから」

 それでは、ひとついただいていこう。

「うん、来年また会えるかどうか、わからねえけど、元気でな。にこにこ、楽しく暮らすんだぜ」

 面白いトナカイだ。
 来年もまた、会えるだろうか。
 正体を知ろうとは思わない。そんな友達があっても、いいではないか。

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