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朝日の中で建物を作ること

最近、サイトに自作のソルフェージュ(聴音)課題や和声課題を掲載している。
思い出すためだ。

和声は俳句だなと思うところがあって、575という指針があることにより、縛られることでしか生まれ得ない独創性を発揮しうると思う。
和声の禁則なんかも指針であって、その枠の中でいかに己を表現するかが試される。
要するに縛りプレイなわけだ。

とは、思う。

でも、世の中の詩は俳句だけではないし、世の中の音楽は機能和声に従ったものだけではない。
和声や対位法などの理論だけに縛られていては、型破りな曲は書けない。

とも、思う。

まあだから、和声はツールの1つなのだろう。
モチーフという材料達を調理する道具であり、持っていた方がいいけど毎回必ず使うとは限らない。

しかし、使うか使わないかと、好きか嫌いかは全く関係ない。

私は和声に関わることが好きだ。
3冊の藝大和声で育ったし、大学に入ってシャランを某書店から取り寄せてやったのもいい思い出だ。

だから、サイトに掲載を始めようと思ったのだ。多分。きっと。

(短歌も俳句も好きだから、縛りプレイが好きなのかも知れない。)

↓こんな感じ。

私は朝日の中で、建物を作っている。
少しずつ。
好きだから作っている。

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