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繊細であること←→端的であること

以前noteで、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』のレビューをした。
その際、コメントにて「同じ著者の『文明崩壊』も面白い」という情報を得、読んでみた。
要約すると、過去のさまざまな文明が滅びた原因として、人間による環境破壊も一役買っている、だから現代人も滅びぬ為には環境に気をつける必要がある、という内容なのだが……。

私が今回一番ティンと来たのは、訳者あとがきによる「まとめ」だった。
私がうっすらぼんやりと感じていた著者のスタンスについて、訳者の楡井浩一氏は明快な言葉を与えてくれた。
以下引用を含む。

「『銃・病原菌・鉄』で人種的優劣の概念を真っ向から否定する”過激”な説を唱えたせいか、(中略)左翼平等主義、リベラリズムのイデオローグとして見られることが多い」が、「けっして極論にも観念論にもくみしない中庸の人である。むしろ随所で、極論や観念論の危険性を指摘している」のが著者である、と述べている。

で、上記の「極論」「観念論」という言葉が、具体的にどういった状況・行動のもととなる考え方を指すのか、(あとがきの続きに書かれてはいるが)私なりの解釈をしてみた。この私なりの解釈は、書の内容から逸脱する・いわゆる一般論として考えてみている。

・この人物は、かつてこういうことを行ったから、今後とも全ての行動について一切支持すべきではない
・この国の人々は、かつてこういうことを行ったから、今後とも全員を敵とみなすべき
・この集団に属する人々は、今は滅びる寸前であり、従って「聖なる人々」としてあがめ守らなければならない
・企業とは環境破壊を進んで行う者達の総称である
・男性は、あるいは女性は、こういうことをしでかすに決まっている

竹を割ったような、わかりやすい、端的な考え方こそ、「極論」「観念論」に当たるのではないか、というのが私の解釈だ。
と言いつつ、この解釈自体も「極論」「観念論」のうちに含まれるような気がしないでもないが……。

では、端的な考え方の逆は何か?
タイトルに挙げた「繊細な考え方」と表現出来ると私は思う。

たとえば、著者が日本について述べた内容がわかりやすい。

・江戸時代の日本では、将軍がトップダウン方式で森林の木を1本1本管理し、伐採や運搬等を監視した。森林破壊による文明の崩壊を免れた成功例である
・現代の日本は、自国の森林を保全しておきながら他国から大量の木材(紙等のための)を輸入している。資源を輸入し環境破壊を輸出している典型例である
・日本はイタリアと同様人口が減少傾向にある。人口が増えすぎたことによる文明崩壊の例を鑑みると、人口を増やしすぎないのは(現代)文明の崩壊を免れるための一つの道である

↑全て要約。
「日本は悪だ!」「どこどこの島や国は愚かだ!」「白人は侵略者だ!」みたいなレッテル貼りをしない。
つまり、その人・その地域の人々・その人種の人々・その国の人々などについて、「こういう面は参考にすべきだ」「こういう面は他山の石としたい」「こういう面は賞賛に値する」など、様々な面から角度を変えて見るという考え方・感覚である。更に、現代だけを切り取るのではなく、長い時間軸で(下手したら4万年くらい遡って)見る、そういう繊細な考え方をするように心がけることで、観念論を遠ざけることができるのだと思う。

もう一つ、極論や観念論で考えることの害を表現する例があった。

上述の例で、「人口を増やしすぎないのは(現代)文明の崩壊を免れるための一つの道」みたいなことを書いた。それを著者が述べているのは事実である。
が、これについて、もし極論で片をつけようとするとどうなるのだろう?

「70億もの人間が地球に生きていると、地球の環境や資源はそれを支えられない。なら20億くらい減らせばいいのではないか。そう考えると戦争や虐殺も良いことである」

みたいな考え方が出てきかねない。
言うまでもなく著者はこういう考え方は一切しない。むしろ、ルワンダ虐殺を例に取り、なぜこういった忌むべき事態が起こってしまったのかを分析している。後に書かれた『若い読者のための第三のチンパンジー』では、同じ種である人間同士が殺し合ったり大量殺戮することを、人間のおぞましい性質とまで述べている。

人口に関して言うなら、「今減らせ」などと一言も言っていないのだ。「増やすな」とは言っていても。
だからこそ、著者は人口が減少傾向にある日本やイタリアについて希望を見出しているし(環境保護を目的として出生率を下げようとしているわけではないことはともかく)、中国の一人っ子政策にも賛同の意を示しているのだ(同上)。

繊細であることを捨てない、もし捨てる時が来るとしたら、その時こそが、極論や観念論に呑まれ生態系に反逆することで自らを滅亡に至らしめる時なのだろうな、と思った。
(ここでの主語は「自分が」とすべきなのだろう。書いている私であり、読んでいる皆さんなのだろうなという気がする。)

ところで、この記事では今回私がティンと来たことだけを述べているのだが、この本には他にも面白いことや興味深いことがたくさん書かれている。
ぜひ読んでみてほしい。

(個人的な課題は、経済成長をさせることにより今生きている人間の食い扶持を稼ぎながら、どうやって環境や資源を守り人口を増やさないように・減少傾向にするか? というこれまた繊細なお話である……。)

あなたの気持ちが、巡り巡ってやがてあなたの元へと還りますように。