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友だちについて考える

菅野仁さんの「友だち幻想」という著書で、心に残る一節がありました。

「一人でも生きていくことが出来てしまう社会だから、人とつながることが昔より複雑で難しいのは当たり前だし、人との繋がりが本当の意味で大切になってきている」

という一節。

 

昔は、掲示板や口情報がコミュニケーション手段であり、生存戦略には一緒に過ごす他人の存在が必要不可欠でした。

ところが、今はもうそのような「ムラ」制度は無い豊かな社会になってしまい、一人でも生きていけるようになった。

だからこそ、今一度「人とのつながり」を考え直す必要がある、とのこと。

 

たしかにSNSをはじめとして、人とのコミュニケーションをとるのが容易になり、人間関係のあり方は昔とは圧倒的に異なるでしょう。

特に「自分を認めてもらえる」「承認してもらえる」という欲求を満たすことが簡単になり、「私は大丈夫」という気持ちを作り出すことが比較的容易になったと言えるでしょう。

しかしれは裏を返すと、人が精神的に大人になる速度が遅くなってしまう、というデメリットが考えられます。

 

 

「友達」ってなんでしょうか。

自分を承認してもらうための道具でしょうか?

確かに散々批判してくるような人は友達とは言いにくいでしょう。

それでは2,3回だけあった「顔見知り」は友達と必要十分かというと、それはそれで少し違う気がします。

 

友達や親友の定義は人によって違うでしょう。

水島広子さんの言葉を借りると、僕のイメージで親友は「家族や彼女といった人と同等で大事にかかわる人」「気兼ねなく相談できる相手」と考えます。

一方で友達は「顔見知り」以上「親友」未満というイメージ。

このイメージが人によって異なるということは心に留めておく必要がありそうです。

加えて、「あいつが俺がだれだれの親友だ、お前は違う」といった、親友争奪戦のような定義合戦は全く無意味なことだということを頭に入れておく必要がありそうです。

 

 

「友達の存在意義」としてふと思い出したのが、岸見さんの言葉。

「幸福は他者との間から生まれる」という言葉。

菅野さんも「他者は、脅威の源泉であると同時に生のあじわいの源泉であるという二重性を持つ」と言います。

友達/親友を作るのは、(いつか生まれるであろう)生の味わいを楽しみ、幸福に生きるためだということです。

 

 

それではいわゆる「友達100人出来るかな?」というように、友達は多ければ多いほど良いのでしょうか?

この議論は極めて難しそうですが、僕の考えでは友達は、いろんな出来事や軋轢を通して、「自分が精神的に子供から大人になるきっかけを与えてくれる他者」であるので、積極的に友達は作ったほうがいいのではないか、と思います。

 

ここで注意しなくてはいけないのは、「自分の承認欲求のため」に友達を作るわけでないということ。

こうすると、承認欲求の沼に足を取られてしまうことでしょう。

あくまで、「感動を共有する」「幸せを共有する」ための友達。

そして「自分が大人になる」ための友達。

うーん、考え方が難しい。


↓著書リンク

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