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役割分担は危ないよって話

以前、研修などでスライド作りの役割分担をする方法論や感じたことについて備忘録しました。その後色々気になって調べてみたことの備忘録。

これから取り掛かる仕事は、メンバー全員が経験や知識を持っていていきなり分担してもよいテーマなのか、それとも議論を通じて全員で考えを深め、共通のイメージや枠組みをつくり上げ、勘所を養ってから分担すべきテーマなのかを見極めるのです。

僕の経験論になってしまいますが、「メンバー全員が経験や知識を持っている」みたいな状況ってほとんどないと思うですよね。まだまだ議論の進め方に慣れていない人であれば、とりあえずまずは問いを立ててみんなで議論をする、というのが大事なのかも知れません。

こう書きながら、議論にも種類があるんじゃないかと感じました。つまり、「こういうことかもしれない」「こう目指すのがいいのかもしれない」みたいな、Why/Whatを問う議論と、「こうがいいんじゃないか」「これも使えるかもしれない」というHowを問う議論がありそう。前者が深まって初めて後者が規定されると考えると、Whyの深掘りって大事だなと感じます。

全体像や実現イメージすら共有できていないこの段階にいきなり手分けしたのでは、組織の壁の中でも実行に移せる小粒な施策が出てくるだけです。

ここには役割分担の弊害が表現されていると思うんです。つまり、「役割」という壁で切られてしまい、その役割内でしか得られない方法論しか出てこない、ということだと思うのです。商品が世に出るまでたくさんの「役割」が関与しているように、あらゆる要素はお互いに複雑に絡み合って存在しています。無駄な壁を作らずに、課題への最適解を目指すのが肝要かも。

長期間にわたる議論の場合、「議論の場」と「宿題」に分けられると思っています。Why/Whatを考えるフェーズでは、議論の場では基本的には「課題の認識のすり合わせ」を行い、宿題では自身の考えや興味を深める調査がメイン。Howを考えるフェーズでは、議論の場では「課題に対する方法論の導出」を行い、宿題ではその方法論の有効性を補強する調査がいいのかも。

もう一つ備忘録。「うまく議論のファシリテーションができない」と、ここ最近僕は心を折られていて、その悩みを部長や課長に相談してみました。相談の内容はざっくり「みんな方法論の話ばかりしたがって、本質的な議論を全然したがらない」ということ。そうなると、Whyを見誤った時点でHowが変わってしまい、議論の意味がなくなってしまいます。

部長の意見は「Whyを考えられるのは技術であり才能。話を戻せるような話術を身につける必要がありそうだね」。課長の意見は「方法論の話になってしまうと、手戻りを嫌う人は多い印象。自分が流れを作ったとしても「今さら言わないでよ」って気持ちになるだろうね」というご意見。やっぱりある程度「今日はまずWhyを深ぼる」みたいな時間の区切り方が良さそうです。



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