「推し(米津玄師)」は猫!?
私の「推し」は米津玄師さん。
彼のことが好きすぎて、しょっちゅう彼のことを考えてしまうし、好きすぎて、切なくなって枕を濡らすこともある。
なぜ、そんな気持ちになってしまうのか、答えを出してくれる番組があった。
Eテレで金曜日の10時に放送されている『思考ガチャ!』。
先日放送された「推しにすべてをささげてしまうのはナゼ?」だ。
その理由の中で「手が届かないから」というものがありました。
「手が届かないから」
手が届かない人には、いくら愛情を捧げても、返事やお返しはない。
その分、相手から被害を受けたり拒否されないので、安心して愛情を注ぎこめる。
そう、愛情を注ぐことも、相手のことをよくよく考えて注がないと、かえって相手に迷惑になる。極端な例だとストーカーとかね。
そして身近な人に愛情を捧げたら、どうしても見返りを求めてしまう。
私は米津玄師さんにいくら、自分勝手な身勝手な愛情を捧げても、手が届かない人だから、その分、拒否もされずに済む。捧げた愛情に見返りがないことに傷つかなくても済むのだ。
ちなみに、私、猫や犬を、人間の様に、あるいは人間以上に可愛がる人に気味の悪さを感じてしまう。
ペットは家族……という考えの方には大変、反感を買うとは思うのですが。
「餌をあげれば、懐いてくれるもんね。人間は餌をあげたからといっても、懐いてはくれないもんね。」
まあ、自分勝手な愛情を注ぐために、物言わぬ動物に思う存分、可愛がっているのだろう。
そう、やや冷めた目で見ていた。
けれど、決して手の届かない「推し」米津玄師さんに、手前勝手で身勝手な愛情を捧げる私は、そういう、私がやや冷めた目で見ていた人と同じなのだ。
「推し(米津玄師)」は猫なのだ。
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