かんな

日本のとある市に住んでいます。平日は働き、土日は休む。思ったこと、感じたこと、考えたこ…

かんな

日本のとある市に住んでいます。平日は働き、土日は休む。思ったこと、感じたこと、考えたことを、徒然なるままに書いていこうと思います。 週末サイエンスコミュニケーター

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    心に留めておきたい言葉を集めます。 「社会の方程式」

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卒業の日、感謝を伝える

大学の卒業式の日、仲良くしてくれた友達に、メッセージを書いたカードを渡した。 メッセージの内容は、人によって違うが、感謝を伝えた。 卒業の日。 何人かの人には、これが今生の別れになるだろうと感じていた。 だから、綺麗にさよならしたくて、 ちゃんと伝えたくて、 でも、もう会えないのが寂しくて、 話を終わりたくなくて。 時間切れで、『ばいばい』して。 もっと、話してたかったなぁ。 もっと、ずっと一緒にいたかったなぁ。 電話番号を知っているのに、 連絡なんて、簡単にできるはず

    • 「絶対間違ってない」と思うけど、「そう思ってることが間違いなんだろうな」とも思う。

      • 「長い」は、いじめの一要素?

        「長い」ということが、いじめの一要素になるのではないかと思う。 例えば、嫌なことを言われる。 一度だけなら、嫌な気持ちにはなるが、すぐに忘れられることも多い。 そうでない場合もあるが。 しかし、何時間も言われ続けると、病んでくる。 一言でも、何日もの間、毎日言われ続けると、段々、病んでくる。 やめてと言ってもやめてくれない。 反論しても言い返される。 最後は、こちらが口をつぐむしかない。 何をやっても勝つことができない、負けるしかない戦い。 諦めて、言われるがまま、されるが

        • 映画を観過ぎてしまったのかもしれない。

          先日、とある映画を見に行った。 よくあるストーリー。 なぜその場面でその手法を、と疑問が残る編集があった。 豪華な出演者が勿体無いと感じた。 近くの席にいた高校生が、泣いていた。 ストーリーに感動したようである。 その姿を見て、感動できなくなった自分に気付く。 最近は、観たいと思える映画、読みたいと思える小説に出会うことが少なくなった。 ドラマを見ても、退屈で、1話すら最後まで見れないことも多い。 どこかで見たことがあるような、読んだことがあるようなストーリーばかり

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          雑談の目的とは

          雑談の目的は、雑談をすること、なのではないかと思う。 数ヶ月前に、仕事で、新しい部署に移った。私以外にも、数人が新しくチームに加わり、新たにプロジェクトを開始した。チームのリーダーとなる人も、新しく加わった人で、私は、その人と隣の席になった。 その人は、雑談の多い人である。私に喋りかけてくる。私の以前の部署は、個人でやる仕事が多く、皆黙々と取り組み、会話は、報告や相談など以外は、ほとんどなかった。その感覚が抜けず、仕事とは関係ない話題にどう対応すべきか、悩んでいる。 私

          雑談の目的とは

          自分の何を紹介するか

          現在、とある大学の講座を受けている。 基本は、オンラインだが、先日、対面で実習があった。 初対面の人と、3日間、グループで活動をする。 まず初めに、全体で、自己紹介をする時間があった。 自己紹介の方法が、私にとって初めて行うものだった。 ひとり1枚、紙が渡され、その紙を3×3に線で区切り、真ん中に自分の名前を、その上に自分をどう呼んで欲しいかを、それ以外の場所に自分を表す単語を書く。周りの人に、自分の紙を見せ、相手は気になる単語を選ぶ。その選ばれた単語について説明する。交代し

          自分の何を紹介するか

          女に生まれてよかったか

          少し前に、ブルゾンちえみさんという芸人がいた。持ちネタに、「あー、女に生まれてよかった。」というものがあった。 私は、「女に生まれてよかった。」と思ったことがあるのだろうか。 今、過去の人生を振り返ってみる。 女に生まれてよかったと思えるような出来事は、思い出せない。 逆に、男に生まれていればよかったのにと思う出来事は、あった。 女に生まれてよかっただなんて、思ったことがないのだと思う。

          女に生まれてよかったか

          「正解」の反対は、「間違い」ではなく、「不正解」である。「不正解」は、「正解」ではないが、「間違い」ではない。

          「正解」の反対は、「間違い」ではなく、「不正解」である。「不正解」は、「正解」ではないが、「間違い」ではない。

          気温を下げる方法について、考える。

          『打ち水大作戦』として、全国各地で打ち水が行われている。 打ち水をしてみては、どうだろう。 日本海側で、冬に雪を溶かすため、道路から水が出ているのを見たことがある。 あれを打ち水として利用してみてはどうか。 夜明け前、車通りの少ない時間に、道路が濡れる程度に水を撒いてみてはどうだろうか。 調べてみると、あの装置は、消雪パイプというらしい。 そして、実際に打ち水として利用している市町村があるようだ。 エネルギーは保存する。 地球は、太陽からエネルギーを得ている。 つまり、

          気温を下げる方法について、考える。

          異常気象について、思うこと

          暑い。 確かに暑い。 でも、今年、半袖を着はじめたのは、7月になってからである。 昔は、5月、ゴールデンウィークの頃から、半袖を着ていた気がする。 6月頃は、全然気温が上がらないなぁと思っていた。 7月になって、やっと気温が上がりはじめたなぁと感じた。 8月になって、やっと、夏が来たと思った。 天気予報で、最高気温39℃とあって、びっくりした。 確かに暑い。 でも、体感では、『異常な』暑さとは感じていない。 「まぁ、こんなもんでしょ。」と思っている。 温暖化、と言われている

          異常気象について、思うこと

          「世間の目」の世間とは?

          十数年ぶりに髪を染めた。 濃い紫だ。 テンション爆上がりである。 就職してからずっと、地の髪色だった。 目立たない見た目を求められる仕事だし、「地味な私」を楽しんでいたところもある。 見た目のルールが緩い部署に異動になり、周りの人達は、今までの感覚ではできないような、服装、髪である。 やりたいと思う。 いいのか?と疑問に思う。 誰がダメだというのだろうか。 自分は言わない。 職場の人は?たぶん言わない。 世間の目が気になる? 電車で乗り合わせた人が何か言うだろうか。

          「世間の目」の世間とは?

          上司も部下もいらない。先輩と後輩と仲間がほしい。あと信頼できるビジネスパートナーと。

          上司も部下もいらない。先輩と後輩と仲間がほしい。あと信頼できるビジネスパートナーと。

          美しい去り際は難しい

          コンサートや、ライブに行くと、アンコールがある。 ミュージカルを見に行くと、カーテンコールがある。 本編が終わり、演者は一度、舞台袖に捌けるが、再び舞台上に戻ってくる。 アンコールやカーテンコールは、一度だけの場合もあれば、複数回あるときもある。 どのタイミングで終わりにするか、どう終わらせるか、それは難しい問題である。 美しい去り際は難しい。 社会人になって、早数年。 未だに、帰る時の振る舞いに自信がない。 「お先に失礼します。」と言って帰るが、これでいいのか、わからな

          美しい去り際は難しい

          正論。正しいけど正しくない論。

          正論。正しいけど正しくない論。

          選択肢がない幸せ

          もし、制服をスカートにするか、ズボンにするか、選べるなら、どちらにするだろうか。 私は、その選択肢がある学校には行かないと思う。 選択肢がなく、スカートを履くしかないから履くのと、選択肢があり、スカートを選んで履くのとでは、意味が違う。 どちらも選べるとしても、やはり、その学校には行かない。 最近は、スカートかズボンか両方かを選べる学校が増えているが、私は、選びたくない。 だから、スカートしかない学校か、制服がない学校に行きたいと思う。 (ズボンしかない学校もあるのだろうか?

          選択肢がない幸せ

          「自分がされて嫌なことを、相手もされて嫌だと思っているとは限らない」という食い違い。

          自分がされて嫌なことを人にしてはいけない という教えのもと、生きている。 だから、自分がされて嫌なことを、相手にしないようにしている。 昔、就活をしていた時、グループ面接などでたまたま一緒になった人に、大学や学部について聞かれることがよくあった。 私は、聞かれれば、答える。 でも、本心は、答えたくない、というより、聞かれたくない、と思っていた。 だから私は、相手のことを聞かない。 自分のことは答えるけど、相手のことは聞かない。 そうすると、こちらは、相手に対し、どんどん個人

          「自分がされて嫌なことを、相手もされて嫌だと思っているとは限らない」という食い違い。