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【創作大賞感想】夏の恋☀️1991 シークレット・オブ・マイ・ライフ/teiQreiさん


青春小説にとって文体は大切だ。
記憶に新しいのが、大田ステファニー歓人の『みどりいせき』。脳みその中をそのまま垂れ流したような、全編バイブスに貫かれた文体が話題になった。
古くはサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』も、当時の若者口調で語られる文体が、青春小説としての瑞々しさに不可欠だった。

teiQreiさんの「夏の恋☀️1991 シークレット・オブ・マイ・ライフ」という青春小説もまた、その独特の語り口にまず惹きつけられた。

これは私小説と言っていいと思う。私小説というジャンルがあることを久しく忘れていたような気がする。
時は、タイトルにあるように1991年、主人公高1の夏の出来事を中心に、小中学生の頃のエピソードも交えながら、思春期の性の目覚めや、沖縄という地域性の中での、ある種のボーイミーツガールが語られる。

ただしこのボーイミーツガールは一般的に想像する恋愛とは違うのだ。
ヒロインの「桃子」という女性は主人公にとって、“自分に似ている” 存在であり、恋愛を超えた愛の対象であり、いささか手垢にまみれた言葉であるが「ソウルメイト」とも言える存在だった。

生きにくさを抱える桃子に精一杯寄り添う主人公。桃子の心情は多くは語られない。そこが私小説たる所以だ。自分でない人間の気持ちは代弁できない。
読者は主人公の気持ちの軌跡をなぞりながら、はっきりしない部分ははっきりしないままだし、伏せられた部分はわかりようがない。
そこにリアリティがある。

あとがきによれば、この小説はハインラインの『夏への扉』を下敷きにしたというが、『夏への扉』を読んだことはないのだという。
私は『夏への扉』を読んで面白かったことは覚えているが内容は覚えていない。
似たり寄ったりである。
それでもこの小説が『夏への扉』並の爽やかな読後感であるということは、間違いなく言える。



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