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20000815 沖縄の廃藩置県

 廃藩置県$${^{*1}}$$が明治4年に実施されたにも拘わらず、明治政府は翌5年に琉球藩を設置した。そして琉球王 尚泰$${^{*2}}$$を藩王とした。この明治政府の処置は琉球王国が日本の一部であることを明確にするためであった。琉球王国は14世紀頃からの貿易で中国との関係を深めており、中国からは一独立国としての扱いを受けていた。

 しかし1609年の薩摩による琉球侵略で薩摩の属国扱いも受け、その状態で明治維新を迎えた。従って国際的には琉球王国は独立国であると同時に薩摩藩の一部という状態であった。廃藩置県は版籍奉還$${^{*3}}$$という前提がないと成立しない。琉球王国は、幕府から領地を与えられた大名ではなく元々独立国家なので、朝廷に返すべき版籍$${^{*4}}$$はない。廃藩置県は関係ないはずだが、明治政府は沖縄が従来から日本独自の領土であったことにするため、改めて「藩」を設置したのではないだろうか。「県」を直接設置しなかったのは版籍奉還から廃藩置県へと徐々に大名を懐柔していく方法を踏襲したのだろう。

 明治12年、伊藤博文$${^{*5}}$$は処分官$${^{*6}}$$に警官と軍隊の護衛をつけて首里城$${^{*7}}$$に乗り込ませて琉球藩の廃藩置県を完遂させた。

 これに何となく似た事例としてハワイ王国$${^{*8}}$$のアメリカ併合がある。ハワイ王国は1889年、アメリカ合衆国に併合され、1959年にアラスカ$${^{*9}}$$に引き続き第50番目の州のハワイ州$${^{*10}}$$となった。これによってアメリカの国旗の州の数を表す星の配列が縦6×横8$${^{*11}}$$から現在の配列$${^{*12}}$$になった。

*1 20000724 廃藩置県
*2 近代〕 沖縄の詩学(冒険)-1859年~1925年-
*3 版籍奉還
*4 人物・用語解説
*5 伊藤 博文(いとう ひろふみ)
*6 1879年3月27日 「沖縄県」の設置
*7 沖縄小史
*8 ハワイ情報インデックス
*9 49 Star Flag - (1959-1960) (United States)
*10 Welcome to eHawaiiGov
*11 48 Star Flag - (1912-1959) (United States)
*12 United States of America

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