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読書:『中國新文學的源流』

 現代文学史の講義を受けるうちに、『中國新文學的源流』を参考書として読みました。朝華出版社から再版されたのです。
 はじめて日本語で感想文を書いてみましたので、何か不足などあればご指摘いただければ幸いです。どうぞよろしくお願い致します。

『中國新文學的源流』

 中国の「現代」はいつから始まったのは、諸説あるものの、一般的に受け入れられているのは1919年5月4日から1949年10月1日までである。画期的な「現代」と政治は切り離せないが、思想の転換はそんなにハッキリとは言えない。
 中国現代文学の起源について、研究では様々な切り口から論じられている。例えば、Jaroslav Průšekは、魯迅の『懐旧』(1911)は文言であるにもかかわらず、モダンなナレーションスタイルを取り入れ、中国現代文学のはじめと指摘した。
 本文で取り上げる『中國新文學的源流』(1932)は、周作人が1932年の春、輔仁大学に『新文学』をめぐって行われた講義のノートであった。今は中国現代文学史という授業の参考書になったことである。
 周作人は、まず文学の定義から文学についての基本的な知識を説明した。「文学の定義をハッキリと言う事ができない」と述べているが、文学はだいたい「心ゆかしい形式により、作者のユニークな考えと感情を伝え、読者を楽しませる」というものである。こんな解釈はもちろん不充分で、曖昧である。周作人はここで、とりわけ読書の「楽」(中国語で「愉快」ということ)を説明した。それは単なる読者に嬉しくさせることとは違い、謎解きゲームみたいな過程を通じ、読者を楽しませると思われる。そして彼は文学の範囲を広げ、「純文学」のほか、「原始文学」と「通俗文学」があり、全体的に視点を当て文学を研究しようと指摘したうえで、文学研究は歴史や生物などいろんな分野での知識を身につける必要があると論じている。
 いま見ると、ただ普通の論述かもしれないが、当時には素晴らしいビューポイントであった。しかも彼は文学理論を言うつもりではない。短めの論述を通じ、定義と見方を明らかにし、それを踏み出し、中国文学の変遷をたどったことである。
 文学は元も宗教の一部ではあるが、だんだん宗教から離して独立した。そのうえで、文学自身が二つの流派に分かれた。一つは「詩言志」(詩は志を述べること)という言志派で、もう一つは「文以載道」(文とは道を載せるものだ)という載道派である。その二つの力が互いに競い合い、文学の発展を川のようにくねくねと曲がりながら発展し、いまの中国文学になったと述べている。
 なので、周作人は胡適の「中国文学の唯一の目標は白話文学で、時代を問わずいつも白話文学を目指し、バリヤーが多すぎるので今までやっと正しい道を進んでいる」という論述に反対し、新文化運動は破天荒なものではないと述べている。それを証明するため、明朝末期の公安派の革新を例として偶然に似ている所を指摘した。
 民国以降の文学運動は、明朝末期の文学運動を原点として、清朝の文学をきっかけに革新したと論じている。清の時代、八股文に代わって策論が課せられたと同時に、「桐城派」は「文以載道」を提唱した。厳復をはじめとしての桐城派同人が、西洋の小説と科学思想を訳して紹介し、新しい道をリードした。が、彼らの視点は相変わらず「文以載道」であり、儒家思想を重んじ、西洋思想を積極的に取り入れることではなかった。その視点と文学革命の言志や革新という趣旨は根本的に矛盾した。あるいは、清朝末期に「伝統文学を覆そう」という思想があったが、あの時はまだ「文学革命」をハッキリと意識していなかった。
 魯迅は、その転換期は「革命文学から遵命文学へ」(『北斗』)と述べている。周作人はそれを賛成したうえで、「載道」の文学はすべて「遵命文学」と思われる。しかし胡適の主張と公安派の思想に比べると、ただ何百年を過ごし、公安派の思想に科学思想が加わったものであって、彼の「新文学」は「遵命文学」の枠を超えなかったと論じている。
 文学の改革を進み、形式(八股文から策論へ)と意義(載道から言志へ)の転換のほか、文体も一新した。文言から白話へ変わった。しかし、あの時の白話といまの白話文学とは違い、政治を改革するため、主に古文を訳したものである。ちょうど近代の終焉と現代のはじめとの間、西洋から受け入れられた科学や文学、哲学など様々な分野での思想が増え、文学革命がだんだん視野に入ってきた。
 胡適の説を反論し、周作人は文言と白話のけじめをハッキリさせることができないと述べている。文言より白話を選ぶ理由は二つがある。一つは「志」(思想と感情)を述べるため、白話を選ぶこと。いわゆる「名」(シニフィアン)と「実」(シニフィエ)の対応関係から見ると、昔の単語は今の生活を述べることが全然足りない。例えば「大学」や「テレグラム」などを古文で述べるはずがない。古文は箱のようなものと言えば、白話は袋のようなものである。箱は四角いものしか入らず、丸いものを入れられない。しかし袋は何でも入れられる。白話は話し言葉に近い、自分の思想と感情を話すことができる。もう一つは西洋思想の輸入により、人々の意識を変え、その新たな思想を記述するため、新しい文体を呼びかけること。つまりシニフィエを表しようとすると、白話を使うべきであろう。
 「短いけれど大切な本」(銭鍾書)として『中國新文學的源流』には、文学革命の原点を明らかにし、白話の重要性を伝えた。要するに、二つのポイントが見える。一つ目は、中国文学が昔から二つの流派に分かれ、言志派と載道派は長い間互に張り合い、「循環的な」文学革命の源泉となった。二つ目は、思想が移り変わり、文言の制限が多い中で、思想と感情を語るために新しい単語と文体が必要であり、白話を使うべきであった。
 『中國新文學的源流』は中国文学の流れを解明し、文学革命への原点回帰、文学革命の生み出し方という問題が文学史に込めた思いをたどっていった。素晴らしい一冊と思われている。




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