【躁うつ日記#07】やっとの思いで辿り着いたメンタルクリニック

 ここでもう一度、彼女の今までを振り返ろうと思う。

2020年7月
 ↓               [暴れん坊期]
2021年12月
 ↓               [少し落ち着き(波は多少あり)]
2022年10月
 ↓               [どん底憂うつ期]
2023年4月

 こうして見ると、しっかり大きな波があることがわかる。しかし当初はインターネットで色々調べた結果「統合失調症」を疑っていた。獣医学生とは言え、この手の疾患には全く知識が無い。


 2022年の少し落ち着いた年に、残り1つの単位と頻繁に通った研究室のお陰で晴れて進級することができた彼女は4年生になった。

 私たちが再スタートしてから3ヶ月が過ぎようとしていた2023年4月、再び学校へ行く回数が減った。どうせ行かないなら、と彼女は私の家で過ごすことが増えた。


必ず病院に連れて行くという決断

 「さすがにそろそろ少しずつ行かなくては」と大学がある街へ戻ろうと戦っている彼女はとても苦しそうで、見ていられなくなった私は、少しでもやる気が出るならと思い、車で7時間かけて家まで送って行った。(高速なら4時間くらいだが経済的に往復は厳しい)

 昼過ぎに出発して夜家に着き、私は自分の学校もあるので帰ろうとしたが、1日だけ泊まって行って欲しいと頼まれた。どうしても帰って勉強しなくてはいけないと断ったが、一向に車を降りる気配がない。

 路上に停めているのも良くないのでコンビニの駐車場に入って色々話した。
 私も帰らなくては行けないこと、せっかく送ってきたんだし頑張って欲しいということ、たくさん話した。

 段々と彼女からは苛立ちや不安が痛いほど伝わってきて、涙を流す彼女に、私も号泣しながら病院へ行く提案をした。絶対に一緒に向き合うし、絶対に見捨てないからと声をかけ続けた。


 本来の彼女は完璧主義で、怠惰とはかけ離れた性格をしている。家には髪の毛ひとつ落ちていない。だからこそ、今の状況は「異常」だと感じたのだ。


 とりあえずこの日は泊まっていくことにして彼女は落ち着きを取り戻した。


実行

 いつもなら、気分が落ち着いたら病院の話はフェードアウトしてうやむやになってしまうがこの時の私は引き下がらなかった。

 次の日どうしても帰らなければ行けなかったため、車を走らせ家に戻った私は、次の日もその次の日も病院の話をした。

 騙し騙し誘導をして、病院の予約まで漕ぎ着けた。
 約1週間後に予約が取れたので、また私は彼女の元へ行った。少し大変ではあったが、医師にうまく伝えられないと本末転倒なので絶対に付き添いたかった


受診当日

 1時間近いカウンセラーによる聴き取りで、ある程度の症状や困りごとを話している最中、彼女は涙を流した。あとで聞くとそのカウンセラーの態度が怖かったようだ。私も同席したが、特段気にはならなかった。彼女にとってはところどころの言い方が嫌だったみたいだ。

 聴き取りが終わって診察までは、前の診察が長引いてかなり待つことになった。その間彼女は怯えて泣いていた。

 最後の患者となった私たちは、恋人だからと2人で診察室に入ることを許可された。

 一通り医師話して、その日に診断するのは難しいことを聞かされ、それでも疑われるのは双極性障害だということで薬を処方され、次の診察まで服用することになった。

 医師は若い女性の方で、とても気さくな話しやすい先生で彼女は安心していた。

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