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日記・有意義な休日・エッセイって難しいね

 noteの画面を開いても何も出てこなくて、試しにわたしをそのまま男にしたような大親友にあなたのことを書いてもいいかと聞いて了承を得るも、ほんの数百字だけ書いてやめてしまう。
 とにかく文章が何も浮かんでこないのだ。
 別に作家とか、そういう文章を書く立派な仕事をしているわけじゃなくて趣味の文章なのに、むしろそうなので、わたしは焦る。焦り、自分を責める。
 こういうときに自分を責めて、自分のどこかに悪いところがあるはずだと思い込んでそれを探し続けるのはわたしの悪いところだ。どこにもないものをどこかにあると思い込んで探すのは本当に疲れることである。

 アウトプットができないということはインプットが足りないのではないだろうか、とためしにその辺にあったエッセイ集を手に取る。江國香織さんの「やわらかなレタス」。
 数年前、江國さんのレディな文章を崇拝しまくっていた頃に買って読んだ本。食べものに関するエッセイ集で、それを最近、わたしは1日1章ずつ読み返しているのだ。
 今日読んだのはウイスキーの話だった。普段お酒を買わないのに、ラベルに描かれた誇り高そうな豚の絵に惹かれてウイスキーを買ってしまう話。江國さんの文章はすごい。淡々とした描写の中に、どこか記憶の中の風景を連想させるような素敵な卑近さを秘めている。

 その章を読み終えてわたしは悲しくなってしまった(勢いで次のページを開いた。タイトルだけ見たけどめかぶの話だった)。自分が書けない、ということを改めて深く自覚したのだった(プロの作家でもないのにおこがましいことである)。

 大丈夫だよ、とわたしの中の誰かが言う。大学の創作ゼミ(プロの作家として活躍する恩師が受け持ってくれていたゼミ)の課題だって直前10日間になってからすごい勢いで絞り出してたじゃん。そういう日もあるよ。

 きのうは夜の1時くらいまで友だちの女の子とオンラインで飲み会をして、そのあとちびちびと飲み残した缶チューハイを飲みながらだらだらして、寝たのがだいたい2時。7時間は寝ないとダメな体なのに、なぜか今朝は7時に起きてしまった。
 しかも朝ごはんに乃が美の食パン(知り合いが差し入れてくれた、わたしは世界一おいしい食べ物のひとつだと信じている)を食べ、もう今年の春を楽しむことはないのだと諦めの気持ちで遅い衣替えと服の断捨離をした。わたしの中で、もう「有意義な休日」は終了してしまったのかもしれない。

 もう夕方の5時だし夕食まで寝ようと思ってベッドに行こうとしたけど、ママの淹れてくれたアップルティーがまだあたたかかった(心の病気や障害の関係で、わたしは社会人だけどまだ一人暮らしができないのである。こんなことを言わなくてもいいことはわかったうえで言わせてください、生活費はきちんと払っています)。せめてこれを飲んでから寝ようと思い、机に戻った。

 どこにでもある、なんてことない日常、つまりは読み手が共感しやすい風景を描くのがエッセイだとしたらなんて難しいことだろう。
 わたしはそう思っている、そのこと自体を書けばいいとしても、わたしはこの文章を今iPhoneのメモ帳にぼそぼそと打ち込んでおり(普段noteはパソコンで書くのだが、午前中ママとネットショッピングをしたので充電がもうなかった)、その様子が漏れ出したようにだらだらした文章になっている気がする。

アップルティーはもうぬるくなっていた。iPhoneを充電器につないで、これから洗い物をしてきます。

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