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生きづらさは「愛」では治せない。発達障害の診断を受けて少しだけ生きやすくなった話

 昨年秋、発達障害の診断を受けた。いわゆるADHDである。

 なんとなく「あ、自分ADHDってやつかも」とはっきりと思い始めたのは昨年春、就活中のことだった。
 まず予定の管理が絶望的に下手である。説明会だと思って会社のビルに行ったら1日間違えていたり、面接をダブルブッキングどころかトリプルブッキングしてしまって半泣きになりながら人事の方にメールをしたことは2,3回ではすまない。
 そして物忘れと失くしものが多い。毎朝家を出る直前にスマホとお財布を探し回っていた(これは今も変わらないかも)し、久しぶりにスーツを着ようとしたらスカートがしわくちゃママがキレながらアイロンをかけてくれたりもした。
 極めつけはタスク管理能力が本当に、本当になかった。エントリーシートの締め切りが把握できず、当日になってからあれっ!と気付き、大急ぎで会社のホームページを見ながら書いていた。タスクを何から手をつければいいかわからず、毎回家族や恋人に頼っていた。
「今やらなきゃいけないのは何?」
「A社のES(エントリーシート)と、B社のESと、あっあとC社のウェブテストも受けなきゃ!あと学校の課題もあるんだった」
「そのうち一番締め切りが早いのは?」
「A社のES」
「じゃあそれからやろうね」
「うん!」
 これをほぼ毎日やっていたのである。

 精神疾患とか精神的な障害の診断が下ったとき、ショックを受けたり驚いたりする人は多いらしい。
「あなたはまあ、いわゆるADHDだろうなあ」
「あ、そうなんですね」
 数年前からお世話になっている精神科のおじさん先生にそう言われたとき、わたしは一切ショックを受けなかった。すでに精神疾患、うつ病の診断を2年ほど前に受けていたからそういったことへの見方がいわゆる「普通」とは違うかもしれないかもしれないけど。

 発達障害の診断を受けて、わたしはひどく安心したのだった。

「あ、やっぱりな」という感情があったのはもちろんである。就活中から薄々感づいており、それから検査の予約を取るまでに数か月かかったという事実がまたそれを裏付けているだろう。

 それに、今までの22年の人生を振り返ってみれば思い当たることばかりである。

 赤ちゃん時代。リカちゃん人形やレゴには見向きもせず、シルバニアとかのちっちゃな人形を窓のさんの上に一直線に、一切のズレを生むことなく並べていた。
 幼稚園時代。絵を描くのがやたら上手なくせに塗り絵が絶望的に下手で、線からはみ出さずに絵を塗るのがひどく下手だった。
 小学生時代。基本クラスにはなじめずいじめられっ子だった。給食がどうしても時間内に食べられず、先生と「食べなさい」「やだ」というやり取りを昼休み中繰り返していた。プリントが半分に折れず、いつもランドセルの一番底からぐちゃぐちゃになって出てきてママに怒られていた(余談だが、今も紙を半分に折れないし、服を畳むのも下手だ。「半分」とか「まっすぐ」とかの感覚が一切わからないのである)。
 中高時代。現代文、社会科、英語、美術、音楽は常に学年の上位1割に入っていた。数学、理科、体育は常に学年のビリ1割だった。これは小学校時代から変わっていなかった。進学校だったからみんな東大とか旧帝を受けるのが当たり前だったけど、わたしが「数学と理科ができないからセンター試験受けません。国立は最初から目指さないで、早慶だけ受けます」って言った時も担任、進路指導の担当の先生、学年主任、両親全員が「それがいい」と言った。

 そうしてなんとか早稲田に入った。体育がなくなったことはわたしにとって大きなプラスだった。どんなに頑張っても上手くいかないし(吹奏楽部で肺活量とスタミナと根性は鍛えられていたから持久走だけは得意だった)、なぜか昔から頑張っているのに頑張っていないと思われることが多くて、先生から「もっと頑張りなよ」と怒られてばっかりだった。それでも、いわゆる注意欠陥とかはなくならなかった。

 注意欠陥もそうだけど、人とのコミュニケーションがうまくいかないとか、異常に不器用とか、いわゆる「認知の歪み(詳しいことは検索してみてほしいんだけど、非合理な思い込みが激しかったりそのせいでうつ状態になったりすることである。わたしはひどく自罰的になることが多い)」とか、などなど。

 今までそういうのは、全て「わたしがダメだから」だと思っていたのである。

 もちろんすべてを障害のせいにするのは間違っていると思う。特別扱いを望むのはおかしいし、障害を言い訳にして努力をしないのもダサいと思う。
 でも、障害がある以上「どんなに頑張っても上手くできないこと」は存在する。
 なのに、今まではそれがわからなかったから、上手くできないことは全て「わたしがダメだから」「わたしが人より劣った存在だから」だと思い込んできたのである。

 でも、そうじゃなかった。というか、必ずしもそうではないと証明された。それはわたしを本当に楽にしてくれた。

 それから、わたしは障害のことを隠さず語るようになった。障害が恥ずかしいことだとは全く思わないし、今までは「自分のダメなところ」だったものが「一般的なもの」になったのだから語れるようになったのである。

 そうすると、思いのほかわたしの身の回りには生きづらさを抱えている人がたくさんいた。
 自分もADHDかもしれないんだけど検査ってどこで受けられる?最近精神的にしんどいんだけどカウンセリングっていくらかかるの?わたしもADHDなんだけど予定の管理とかってどうしてる?そういう質問が、わたしのTwitterの質問箱とかダイレクトメッセージ、LINEに時々来るようになった。
 みんな頑張って「普通の人生」を装っているんだな、と感じた。

 そしてわたしは改めて身の周りを見た。わたしに相談をしてくれた人を含め、わたしの周りの人、特に友人と呼べる人は漏れなく「変」であった。しかし「変」は罪ではない。多様性を尊重する態度とは「みんな違ってみんないい」ではなく「みんな違ってみんな変」だと思う。それに気付けたのが、わたしが早稲田大学に入って一番良かったと思えたことかもしれない。

 話が少し逸れたけど、わたしが自分の「変」な、昔は「ダメ」だと思っていたところを語れるようになるまでになれたのは、発達障害の診断が下りたおかげなのである。

 もちろん、今もしんどい。ストラテラという薬を飲んでいるがその副作用がきつい。ADHDも部分的には良くなってるけどまだまだ良くならない。なんとか部屋の片づけはできるようになったけど、いまだに「まっすぐ」や「半分」はわからない。

 でも、それらは「恥」ではなくなったし、わたしは「生きていて恥ずかしい人間」ではなくなったのである。わたしを生きづらさから解放してくれたのは「愛」でも「思いやり」でもなく、たった一枚の診断書だった。

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