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徳島へ帰ってきました

6月4日は母の1回忌でした。もう1年経つのか?という思いと、まだ1年なのか?という思いと複雑に入り混じっています。
散骨以来、久しぶりに徳島へ帰りました。本当は親戚にも会いたかったけど、まぁいろんな世間のことがあるので、帰ってこなくていい、とのことでした。
でも、一人で帰ることにしたのです。

散骨した海を見に行きました。30分に1本しかない電車にのります。調べると、数駅のところに海が見えるスポット、公園みないたところがありました。この駅は、母が就職していた職場の近くだと思います。風景はけっこう変わっているだろうけど、おそらく変わってない部分もあります。そこをゆっくりと歩きます。どうせ、電車もなかなかこないし、時間にも追われていません。こういう風景を仕事の終わりとかに歩いていたのかもしれない。同じような空気を感じていたのかもしれない、と思いながら歩きました。
そういえば、母と田舎に帰る時は、車だったから、あまりゆっくり歩くということをしなかったのです。そう思うと、高速バスや電車で帰るのもいいかもしれないな〜。
そういうこしていると、海が見える公園につきました。

この数十キロ先で散骨しました。もうあれから1年経ったのが、やっぱり嘘のような?変な感覚です。いろ〜んなことがたくさんありました。
数年前はこういうことになっているなんて、想像もつきません。でも、くるときは来るわけで、でも、人は皆死ぬ。そのことは誰にでも平等におきる。誰にでも起こることが起こっただけなのだけど、やっぱり、今でも寂しいものです。

生か死か

海をみていると、暖かい感じに包まれている感じがしました。肉体はなくなっても、いつでもいてくれる。母が亡くなって、一番理解できた、大きなことがこの感覚です。それまでは肉体がなくなれば、もういない、そんな感覚が大きかったです。それしかなかった。生か死か、2つに1つみたいな感覚でした。でも、そうじゃないないんだな、と思います。
母と一緒に帰れたような感覚もあります。これって何かあるから、存在があるから、目に見えないけど、感覚があるから、私には起こっていることだし、現実だと思います。実感できることで、死は終わりじゃないんだってわかります。

まぁ寂しいんですけどね、やっぱりね

高速バスで帰っている時に、本を読みながら帰りました。ふっと顔をあげて、窓をみると、淡路SAが見えました。一瞬スタバも見えました。ここのスタバに徳島へ帰る時によくよっていたんです。テラス席みたいなのがあって、そこでお茶をしていました。いつも天気いいんですよね、からっと晴れていました。
その時、お茶していた時の感覚が蘇って、悲しくなってしまいました。あ〜あの時には戻れないんやな〜って。何気ない普段の会話、コーヒーがおいしいとか、天気がいいとか、散歩している犬がかわいいとか、そんな会話がまたしたいな〜って思っちゃって、また泣けてしまいました。隣に誰もいなくてよかった。

泣くのは魂が震えるから

いつまで泣くんだろうって思ったことがあります。まだまだ平常心で話をすることが、難しい時があります。母と娘だからというのも関係はありそうです。私が息子だったら、ここまでは思わないかな?。それに、父は何十年も前に亡くなっていて、ずっと、母と2人だったから、というのもあるだろうし。いろんな要素があると思います。
ある時、

いつまでも泣いてしまうのはなんでだろう?魂レベルでは存在している、というのは体感しているからわかるのに

と相談したことがあります。そうすると、

魂が震えるから涙が出る

ということだそうです。そうかもしれません。声も震えるし、体も震える。魂が共鳴するってことなのかな。だったらちゃんと泣ける方がいいなと思う。

来年、また帰れるかな?

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