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何か書きたくなって書いた日記のような雑記のようなとりとめのない文章

最近文章書きたい欲が高まって来てたので、ひさびさに日記?雑記?調の文章を書いてみる。日記や雑記形式の文章はテーマやゴールがなくても、その日あったことや最近考えたことベースでだらだら書けるし、いちいちタイトル考えなくて済むから楽。シンプルに日記でもいいんだけど、「雑誌」とか「雑談」とか「雑」がつく言葉が好きなので、「雑記」って表現が個人的に気に入っている。

日記= 毎日の出来事や感想などの記録。日誌。日録。ダイアリー。
雑記=いろいろな事柄を書きつけること。また、書きつけたもの。

goo辞書

あまり違いがわかっていなかったので、一応調べてみたら上記の通り。参照までに。

最近試聴したこちらのイベントでゲストの鈴木健さんが「今日は長く話に来たんで」と言っていたのが印象的だった。情報を短く、わかりやすく整理して伝えることが求められがちな風潮の中、うまくまとめようとせず、長くだらだら話すからこそ滲み出て来るもの、深まっていくもの、予定調和に陥らない面白さがあるんだな、とゲンロンカフェのイベントを最近いくつか観ながら感じた。10時間とか平気で話すイベントは他になかなかない。

文章も「何を書くか」を目的にせず、徒然なるままにだらだら書き連ねているうちに、思考や感情が深堀りされて、書きたいこと、書きたかったことが次第に浮かび上がって来たりするのだと思う。村上春樹もそんなようなことを書いていた。最初に書きたいことがあるわけではなく、自分の中からそれを見つけるために書いているのだと。

自分の中にある「何か」を形にしたい、外に向かって表現したいという気持ちが最近高まって来ているのはたしかで、そのための手段として「書く」という行為が現状一番しっくりきている。ただ、読み手の反応や、文章としての完成度を必要以上に気にし過ぎる節が以前からあり、そうなると時間もかかって書くのが億劫になって本末転倒になりがちなので、書きたいから書く、というシンプルさを大事に、書くという行為、プロセス自体を当面は楽しみたい。

当初は、この後の日記的なパートから書き始めたのだけど、前半パートが思いの他ふくらみ、とはいえせっかく書いたので、そのまま載せて終わりにします。

今日は誰とも会わない一日だった。6月のPORTO5周年フェスに向けたステージチームのオンラインMTGが1時間ほどあったけど、リアルで誰かと会って雑談などはなし。普段はほぼ外食だが、今月は節約月間なので、昼と早めの夕飯を家で済ませる。ちょっと外に出ようと思い、夕方に曳舟駅前の行きつけの喫茶店へ。地元のおじいちゃんマスターが夫婦でやってて、席でタバコが吸える最近では貴重な店。この間マスターと話したらもう40年近くやっているとのことで、昔の周辺の様子も少し聞かせてもらった。
漫画好きなので、ジャンプやヤンジャン、サンデー、マガジンといった週刊漫画誌の最新刊が置いてあるのがありがたい。アメリカンを飲みながら、連載で追っている漫画にひと通り目を通す。ヤンジャンで楽しみにしてる「推しの子」が今週は休載で残念。

電車に乗って出かけようかとも思ってたけど、TVerで水曜のダウンタウンの最新回を観たり、カバンに入れてた本を読んだりしているうちに、いい時間になってもういいやという気分に。電車代も地味にバカにならないし、喫茶店で本読んでたら文章書きたい欲が高まって来たので、早めに帰ってひさびさにnoteで日記でも書こうかなと。そんで、21過ぎに帰宅して、前にnoteの記事書いたの2年前の今頃かあ、なんて思い出しながら、2時間ぐらい書けて書き上げた文章。これで1500字ぐらいか〜。

とりあえず、途中で投げ出さずに書ききった自分えらい。今夜はよく眠れるといいな。おやすみなさい。


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