私を形成しているものは、私以外からもらったもの

私は
今まで私と
出会ってきた人で
出来てるんだと

痛いほど実感しました。


どれだけ最後に傷つけられても
もらって嬉しかった言葉たちは

生きてる
ここで
息をしているんだ

確かに。




付き合いはじめて1週間後に
突然音信不通になったひとがいました。

事故とかも考えたけど
LINEがブロックされていたので
故意に離れたんだとわかりました。

あの人とのLINEのやりとりはとても理想的で
わたしの欲しい言葉を惜しみなくかけてくれて
とても好いてくれているんだと
思っていたのだけど。


「何か言いたいことがあったときに
言える環境を作ってあげることも
大事だと思うんです」


そう言ってくれて
とてもとても嬉しかった。



あの人にとって私は
その環境を作ってあげられてなかったのかなあ。




それから半年くらいして
別れの傷も癒えたころ
今の彼に出会いました。

いろいろな話をしているうちに
私は無意識にこの言葉を伝えていました。


「何か言いたいことがあったときに
言える環境を作ってあげることも
大事だと思うんだよね」


言ってからハッとして
もうおぼろげにしか思い出せない
あの人の顔や
一緒に行ったカフェを思い出して

ああ、私の中で
あの人の言葉や思想は
生きているのだなと

別れの形や
その後の涙や傷跡に関わらず
生き続けているのだなと思いました。




それはきっと
その人だけに留まらず
私がいままで出会ってきた何十人、何百人の人や本や作品が
そうであるともいえるのでしょう。

私を形成しているものは
私以外からもらったもの。

真っ白で産まれた命に
鮮やかな色を残して
去っていく人たち。

残された色はいつか馴染んで
私の命の一部となり生き続ける。

その繰り返しなのでしょう。

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