見出し画像

お化け

「社会?」の続き、行きます。

Wikipediaによると
社会は広範かつ複雑な現象であるが、継続的な意思疎通と相互行為が行われ、かつそれらがある程度の度合いで秩序化(この現象を社会統制と呼ぶ)、組織化された、ある一定の人間の集合があれば、それは社会であると考えることができる。社会を構成する人口の規模に注目した場合には国際社会や国民国家を想定する全体社会や都市や組織などの部分社会に区分できる。さらに意思疎通や相互作用、秩序性や限定性という社会の条件に欠落があれば全てを満たす社会と区別して準社会と呼ぶことができる。

↑概要を抜粋させて貰いました。

無人島で一人で生きる分には関係のないお話ですがおおよその人類は社会と縁を切れない間柄です。幼少期、この社会でもある保育園、小学校と馴染めず
早くも社会と対峙するポジションを仕方なくも獲得出来た私。学生時代を終える年頃には、社会と無縁になれそうな出家の道も視野へ入れていた私。(この辺りのお話はまた別の機会に)


「社会」って、個人個人の社会生活の体験や歴史の学び、周囲の人間の影響などもあって捉え方は千差万別です。でも所詮概念なのですよね。私たちのいのちは実態です。リアルです。
人間の「孤立」は生命の危機を感じるものですよね。無意識に「それ」が正しいか正しくないかにかかわらず、多勢に共感しようとするのはある意味人間の自然な摂理なのかもしれません。

この「社会」から孤立する身の危険を実感した「カナダガン」は
怯えながらも社会を注意深く観察する運命を与えられたんですね。
お化け「実態のあやふやなもの」に遭遇してしまったからには、それがなんなのか突き止めなければいけませんものね。いけないって事はないんですが、この纏わり付いて来るお化けの正体を突き止めたい感情は今や自分のアイデンティティとも言える。

このお化けが、この期に及んで私たちのいのちの運命を左右するキャスティングボートを握るなど、ふ・ざ・け・る・な と思うのです。


だから、なのか。どうして片手に握ったその道具を使うか使わないかだけしか選択肢がないかのような。不自然なにおいが鼻につく。お化けってにおうんだね。















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?