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留学の日々を、原爆の日に想う

原爆の日の朝

平和記念公園(広島市・昨年撮影)

爆心地から2.5キロ離れた住宅地では、午前8時10分前に今日がその日であることを告げるローカル放送が入った。今まで知らなかったことだ。
うだるようなむし暑さの平和公園では、昼過ぎになっても、献花の長蛇の列に加わる人が絶えない。
そして今、各地で繰り広げられる紛争と核兵器使用の懸念が高まる中、つい先日まで滞在した地を思い出す。

旅立ち

ロシアのウクライナ侵攻が始まった翌月、東地中海の島「キプロス共和国」という小さな国にしばらく滞在した。いわゆる「大人留学」というか、恥ずかしながらシニア手前の語学留学だ。
ところでキプロス島がどれくらいのサイズかというと、ちょうど四国と同じくらい。だが北半分はトルコに支配され、未承認国家として存在している。南半分のギリシャ人が多くすむ地域が「キプロス共和国」だ。

なぜキプロスか。
細かい理由は多々あれど、大きな理由はただ一つ。
日本人がほとんどいないから。
幸いにも私が年始から初めての日本人学生だった。もっと言うと東アジア人自体珍しかった。
行ってわかったことだが、キプロスの英語教育は諸外国から学生が「IELTs」と呼ばれるイギリスの英語検定を受けに来たり、教育者の視察が頻繁に来るほど非常にレベルが高かった。
対して、文化はほぼ完全にギリシャである。過去にイギリスの統治下にあったためか、欧米諸国からのリゾート地として人気が高い。
そんなわけで、働き盛りの大人による「2週間程度のバケーション留学」も多い。

ロシア周辺国と東欧や中東の、人種のるつぼ

さて、語学学校の生徒は半分がロシアからの生徒、そして半分は周辺諸国からだった。学校スタッフはもちろん、クラスにもロシアの学生とウクライナからの学生が混じっている。
キエフから命からがら逃れてきた人の、残してきた家族を心配する話などに時々しんみりしながらも、授業は滞りなく進んだ。ウクライナの人が大変なのは勿論だが、ロシアからの人も経済制裁等による問題を抱えており、書類一枚取り寄せるのも本当に大変そうだ、と思うことが多々あった。
そして日本と違って多くの人が「今後生きていく場所」を探していた。

原爆と核の問題

ところで私は今、広島市に住んでいる。昨年移住してきたばかりの「にわか広島人」だが、世界の人によく知られた地なので、自己紹介では必ず「広島から来た」ということにしている。広島という名前を覚えていなくても、「第二次世界大戦の」とか、「原爆の」とかいうと、有り難いことに「長崎とセットで学校で習った」と必ず言われる。
そして二言目には「大丈夫?」と。

最初私は少々バカにされているのかと思っていた。戦後、予想より遥かに速く放射能汚染もなくなり、復興した広島。70年たった今、美しく保たれた景観は、他に誇れる観光地だ。

でも白状すると、小学校で観た映画「はだしのゲン」のすさまじさに連夜悪夢にうなされた。修学旅行で広島に行くのは恐ろしかったけど、行って大丈夫だと身をもって学んだ。それから30年、「今の広島は完全に大丈夫!」とクラスメイトに力説する。が、疑いは晴れないよう。

深刻な核の影響

何人かの話によると、チェルノブイリ原発は事故以来ずっと危険な状態のままで、その影響も現在進行形。さらに残念なことに、今回の戦争で管理が悪化している。ロシア国内でも、風光明媚な観光スポットが立ち入り禁止になっていたりするそう。
また旧ソビエトから独立した中央アジア周辺地域では、過去に行われた核実験で今も深刻な健康被害が続いているとの話も聞いた。
そんなわけで、広島の安全性が今でも疑われているわけだ。
正直コメントに困る内容を拙い語学力で、どうつっこんでいいのかわからず込み入った話は避けがちだったが、周りには旧ソビエト地域や中東の学生も多く、混乱や紛争、難民などのネタには事欠かない。
私の知らなかった史実ばかりだ。

相手を知ろうとする

さらに時々、授業のテーマでお互いの国の問題点に触れる事があった。日本の問題点をうまく説明できたかは自信がないが、みんな真剣に私の話を聞いて、質問してくれた。私の言葉を拾って説明を補ってくれた先生には感謝の言葉もない。
ここは日本人相手の会話と違うのかもしれないが、自分のマイナスポイントを相手にさらけ出せば、誰かがサポートしてくれる。最初から相手は違う人種という前置きがあるからかもしれない。やがて新しい視点も拡がり仲が深まるようだ。
長引く戦争に関する立場も、性別も年齢も違うけど、嬉しい時にはハイタッチで喜び合う清々しい環境に、2ヶ月と短い間だったけど一員となれて幸せだったと思う。

出会った時がその人の転機だけど、やっぱり早い方がいい。

特に今この時期、新しい世界に飛び込んでチャレンジするのは非常にリスキーで、消耗させられる。年を重ねるほど回復に時間がかかるが、いったん飛び出すとそれだけの価値はある、と、すっかりおばさんになった私でも実感している。ティーンエイジャーに紛れて同じ授業を受け、その吸収力とすぐに環境になじめる柔軟性に、舌を巻いた。特に様々な議題に、すぐに理論立てた自分の意見を述べる欧米の子供たちの瞬発力。彼らの親はどんな人たちなんだろう。
そして私は何を学んできたのだろうか。
この経験をどう活かせるだろうか。
いい年だが、まだまだ発展途上だ。

あなたがもし何かに迷っているのなら、とりあえず飛び込んでみるのはオオアリだ。苦労も困難も、若ければ若いほど体力でカバーできるから、思い立ったら1秒でも早くアグレッシブに攻めて欲しい。明日より今日のあなたは確実に若いのだ。

8月6日

祈りを始めるその直前、この夏の終わりを告げるツクツクホウシが鳴き始めた。そしてその声は、8時15分のサイレンの音にかき消された。

ウクライナをめぐる紛争でなくなった人への献花(ラルナカビーチ・キプロス)

#留学 #核問題 #紛争 #他民族 #原爆の日 #広島 #エッセイ


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