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サッカーと過ごした10年間⑥(中学編)洗礼

はじめに

 小学校3年生からサッカーを続けてきた私だったが、4年間続けた結果、満足にプレーできずに終わってしまった。そして、気づけばサッカーをすることから逃げていた自分がいることを痛感した苦い4年間であった。

 この経験をばねに何とか巻き返したい、この思いは小学校のサッカークラブを退団してもまだ、自分の心の中に色濃く残っていた。そして、中学生の部活動では迷うことなくサッカー部と決まっていた。

「自分もこんなプレーができるようになりたい」
「こんな大きな声援を送ってもらえるかっこいいサッカー選手になりたい」

この思いを再確認し、中学編に移る。

余裕?

 まだ周りのことを深く知らなかった私は、恥ずかしいことに、自分のサッカーレベルについて過大評価していた。

 確かに満足にプレー出来た経験は少ない。

 でも、4年間の間で1日も休まずに厳しい練習をこなしてきた中で培ったものがたくさんある。そして自分は、小学生の時には中学生相手に点を取った経験もある。左利きであることや頑張ってプレスに行くスタイルなどからも、中学生でも十分に戦える力を持っている、そう思っていた。

 中学入学前の3月、母親がママ友伝えに聞いたことも話してくれた。

 どうやら私が4月からサッカーをするところは毎年のように全国大会に出場する強豪校で、強い選手がたくさんそろっている。そして、3年間満足に試合に出られない人もまた多くいるとのことだった。

  母親は何の悪気もない様子で話したが、小学生時代の苦い経験がある私にとっては聞きたくない話であった。多少の不安はあるとはいえ、なんとなく大丈夫だろう、そんな気持ちで中学生になった。

先輩の威力

 中学生になり、部活動見学でサッカー部に行くと、その強さを目の当たりにした。

 まず、体格が違う。自分より2個年上なだけでこれだけ身長が違うものなのか思った。汗ばむトレーニングウェアからはうっすら腹筋や胸筋の鍛え上げられたところが見え、強烈なショルダーチャージやタックルが行われていた。

 高いサッカー技術であることは言うまでもない。雨でガタガタになったグランドでも臆することなく足元にボールを収めて運んでいく。シュートもいいコースに力のこもったいいシュートばかりだ。

 自分の数個年上とは思えなかった。中学サッカーのレベルを見せつけれられた。それでもなお、私はここで十分にやっていけると思っていた。

 半分は過信で、苦労した小学生時代の経験に勝てる人はあまりいないと思っていた。それとともに、ここで自分のフィジカルや技術を鍛え上げ、理想のサッカー選手になろうというこれからへの期待やワクワクした気持ちがあった。

始動

 部活見学期間が終了した後、新入部員が決定した。初心者を含む20名程度が入部してきた。その半分は市や県の選抜に選ばれるような人たちで他にも地元で名の知れたクラブに所属していた人たちで構成されたいた。自分もまたその戦力になれそうな1人に属していると当時の私は錯覚していた。

 中学2,3年生も各学年20名程度。合計60名程度でサッカー部が始まった。この中から11人、サブを含む20人だけがメンバーに選ばれる。

 不相応ながら私も1年生からトップチームで試合に出たいという思いがあり、毎日休まず、手を抜かずに練習に励んだ。

 とはいっても1年生は学校周りを走ったり、グランドの狭いところでボロボロのボールでパス練習を10分間だけするなどの限られた場所や時間での練習が続いた。

 この時はまだ周囲との差にきづいておらず、殿様気分の幸せな時間であった。

ランニング

 グランドの関係上毎週2回グランド割り当てがない日があり、学校の周りを走るトレーニングがあった。合計20周は他の運動系の部活ではめったにないとても多い回数であった。

 3年生のスタメンの人たちは涼しい顔で速いタイムでゴールする。一方そうでない先輩たちも経験があるためそこそこのタイムでゴールする。ランニングからもうまい人とそうでない人が明確に分かった。

 私たち1年生もランニングは参加できた。体力に自信があった私はある程度走ることができ、2年生の先輩を数人抜かすほど速く走ることができた。

 しかし、この私を周回遅れにさせたメンバーが同学年の中に10人以上いた。走っても走っても先輩はもちろん、同い年の彼らにさえ追いつくことができない。

 決してさぼっているわけではない。走ることは、特に自信のあるところだった。それなのに、大半の人にあっさり負けてしまった。

すぐに自分の力のなさが明らかになってしまったのであった。

おわりに

 自分のあの自信は、たった1か月ですぐに砕けてしまった。ここから3年間、どうしようと迷った。

 この期に及んでもまたじぶんのサッカーの力を信じている自分がいた。

 この後、また別のことに悩まされるのであった。

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