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落合陽一さんの「未知への追憶」

落合陽一さんの初の大規模展覧会「未知への追憶」へ行ってきました。

私は落合さんの発言がものすごく好きで、共感を通り越して、今後の変わりゆく社会への、コンシェルジュ的な考えを持っている方だなと感じていて、You YubeやNews Picsなどをよく読み聞きしています。

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落合さんがアーティスト活動をされていると知ったのは、最近の事でした。
てっきり彼のことを、研究者や大学教授やメディア関連の仕事が本業だと思っていたので、びっくりしました。

アーティストと真逆のような人が、アーティスト活動をしているなんて。
落合さんのアート、どんな感じなのだろう、見てみたいなと。

そして7/23から始まった渋谷MODIで開催されている「未知への追憶」展へ。

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すごくよかったです!!!!!
目から鱗が落ちました!!!!!

彼はいよいよ本当の天才なんだなあと、圧巻しました。

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一番感動したのは、何よりも彼の作品に対する説明の文章でした。
その表現はもはや詩人。谷川俊太郎先生、宮沢賢治もびっくりです(笑)

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はっきり言って難解でわかりづらいです。
でも、そこから迸る、ああ、こういう表現があったか!というような、言いたくても言えない日々の感情を、彼は「日本語」できちんと説明してくれているなと。

落合さんのあるコメントがあって、「日本語だけではなく英語、あとはスペイン・ポルトガル語を学んだ方が、見解と理解が深まる」と言っていました。
世界で発表されている論文は、ほぼ英語です。優れた論文を読むには英語が不可欠。
また、昔の良書はスペイン・ポルトガル語がメインです。

それが日本語として訳され日本に入ってくる論文はごくわずか。
日本語だけだと情報量が全然違ってきます。

さらには、日本語は日本人内で使う言葉です。
そのため狭く、さらにはニュアンスが限られます。
ボキャブラリーが少ないというか、日本国内での価値観で終わってしまいます。

そこで、英語やスペイン語を読み聞きすることで、見解が一気に広がるそうです。
日本語では表現しきれないニュアンスを新たに学べるのだそう。

日本語しか話せない私にとって、彼の作品に対する文章は、宇宙語のような、でもものすごく響くものでした。
作品をこのように説明するとは、、、彼は頭の中にある日本語を超えたニュアンスを、見事に「日本語」に落とし込んでくれたのだなと。

彼の本も何冊か読んでいるのですが、本とはまた違います。
もはや詩人です。

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その中で、ものすごく刺さった言葉がありまして。
大きな詩のパネルがあり、その最後の部分


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計算機が存在の物化を促すような
新しい自然の息吹が聞こえる。
波動、物質、知能。
工業社会以後のヴァナキュラー
偏在し寂びた計算機が作る新しい民藝

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みみみみ民藝!!!??
このAI時代に突入する今の社会を「民藝」と言った!!!!

衝撃と共に、ものすごーーーく府に落ちた瞬間でした。
現代の立ち位置がわかったというか。


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「民藝」とは1926年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。(民藝運動といいます。)
当時工芸品は高価で一般市民には届かない物でした。
それを「民衆の、民衆による、民衆のための工芸」をスローガンに、無名の職人によって作られた日常の生活道具を「民藝」と名付け、美は生活の中にあるとうたいました。
そして、工業化に対抗するように、日本各地の「手仕事」の文化の重要性を唱えました。

かなりセンセーショナルな運動で、そこから日本の美が大きく変わったのです。
(民藝のことを詳しく知りたい方は、駒場にある「日本民藝館」がおすすめです! https://mingeikan.or.jp )

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現代に受け継いでいるのが柳宗理。
バタフライツールをはじめとする家具やキッチン用品が有名です。

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私もいくつかキッチン用品を使用しているのですが、本当に良いです。
末長く使えるデザインと製品の良質さ。次はザルが欲しいです。。。笑

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このお方、何と民藝運動の父・柳宗悦の息子さんです。

と、話は逸れましたが、まさか落合陽一さんの展示で「民藝」という言葉が出てくるとは。。
作品作りはデジタルですが、本来アナログ好きな私としては突き刺さりました。
約100年の時を経て、今はまさに時代の転換期なのだなと感じました。

AI時代の民藝運動、何だか心がワクワクしてきます。それを生き商人として見届けられるなんて、良い時代に生まれてきたなと。


あとは、

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言語と現像の枠組みを超えた風景の変換。
解像度を超えた風景が、新しい霊性を惹起し
主体と客観に跨る新たな風景を作り出す。

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膨大の情報と日々向かい合っている彼ならではの見解。
「解像度を超えた風景」という表現、何というセンスでしょうか!!
これ以上の言葉は見つかりません。

そして、落合さんの口から「霊性」!!!
てっきり化学にどっぷりと浸かっている方かと思いきや、人間に備わった第六感の存在を堂々と肯定されるとは。

もはや宇宙人とすら感じていた、彼への純粋な人間味を感じました。


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アートに詳しい友人に、アーティストとは?と聞いたことがありました。
帰ってきた答えは
「それしかできない人、しない人」

なるほど。
私はその意見に、半分賛成しました。

アーティストは従来、プロデュースしてくれる他者を必要としていました。
それが画廊だったり、評論家だったり、事務所だったり、プロデューサーだったり。

その友人はアーティストに敬意を持ってその発言をしたと思うのですが、これだけ情報が溢れ、表現方法も広がっている時代で、アーティストはもっと賢くなっても良いのではないかと。ジャニーズが事務所から独立していくように、新しい道筋が開かれるべきではないかと。


落合さんは従来のアーティストとは全く違います。

「メディアアーティスト」と称されるだけあって、先に現代に起こっていることの提起をします。
それを考え続け、形にしていく。しかもものすごい頭脳で。
まず問題があって、そこからアートという表現方法をたまたま使っているに過ぎないのかなと。
それがオブジェだったり、写真だったり、映像だったり。それがたまたまマッチしたから手段として選択した。

それは、今までとは違った芸術運動であって、ものすごく新鮮でした。
現代アートともまたちょっと違った、彼独自のセンスと見解なのかなと。

それは「落合陽一」という一つの芸術。
そしてそれは彼にとって「芸術」という名の一つの「手段」。


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今は「アーティスト脳」が世界を導く言われています。
この予測不能な時代。誰もが次にどうなっていくのかわかりません。
だからこそ、人間本来備わっている霊性的な主観が必要だとも。
それを貫いたものが道を作ると言われています。


まさに落合さんは時代のコンシェルジュ。
これからの彼の活動が、ますます楽しみです。

そして私も、いちアーティストとして、アートの可能性を私なりに深めていきたいと思いました。


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