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【句集紹介】西東三鬼全句集を読んで

・紹介

「俳句の歴史上の一番の天才は誰か」と、問われたのであれば小生は間髪入れず「西東三鬼(さいとうさんき)」と答えるであろう。韻文も散文も、俳人の中で群を抜いていると言わざるを得ない程の文豪である。

この人に散文については近年、「神戸・続神戸」という三鬼が戦中の神戸で経験したことをベースにまとめ上げた、自伝的随筆が再販され始めているので、是非読んでもらいたい。日本のフィリップ・マロー。男が惚れる男である。

韻文の俳句。作風はコスモポリタンである。シンガポールで歯科医師をやっていた経験も、戦中の神戸で様々な異邦人と過ごした経験も、彼の中で俳句の糧になったのだろう。五木寛之は「ヨーロッパの一神教的な発想からはとらえれられない混沌としたアジア的人間」と三鬼を評したが、俳句においてもその傾向は如実に出ている。俳句の伝統的な考えや技法など、とにかく束縛されることを好まなかった三鬼は、自由に心の赴くままに句を詠んでいった。

全句集からの厳選10句である。三鬼の代表的な句が多くなったが、このほかの句も秀句が多い。気になる方は是非読んでもらいたい。

・厳選10句

おそるべき君等の乳房夏来る

ひげを剃り百虫足を殺し外出す

滅びつつピアノ鳴る家蟹赤し

秋の暮大魚の骨を海が引く

水枕ガバリと寒い海がある

枯蓮のうごく時きてみなうごく

大寒や転びて諸手つく悲しさ

占領地区の牡蠣を将軍に奉る

春を病み松の根つ子も見あきたり

広島や卵食ふ時口ひらく

・作者紹介

西東三鬼。明治33年岡山県生。本名斎藤敬直。シンガポールで歯科医開業。京大俳句事件連座等、戦前戦中と波乱な人生を送る。俳句は30代ではじめ、伝統俳句から離れたモダンな感性を持つ俳句で新興俳句運動の中心人物の一人として活躍をした。戦後は「天狼」「雷光」などに参加し「断崖」を主宰。戦中の神戸を舞台にした自伝的散文「神戸・続神戸」は伝説的な面白さ。昭和37年永眠。享年61。

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