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嫌いな奴と上手く接するには【超訳】自省録1日目

・今日の超訳

嫌いなものは嫌いでいい。ただ、世界に欠けていいものなど何一つとしてない

・引用原文(第八巻五十章より)

「『この胡瓜はにがい。』棄てるがいい。『道に茨がある』避けるがいい。それで充分だ。『なぜこんなものがこの世にあるんだろう』などと加えるな。そんなことをいったら君は自然を究めている人間に笑われるぞ。もし君が大工や靴屋に向かって、その仕事場に、彼らのこしらえているものから出た、かんな屑や削り屑があると言って責めたら、その人たちに笑われることだろう。『なぜこんなものがこの世にあるんだろと』思うことは、それと同じわけだ。」

「ただし大工や靴屋たちはその屑を捨てるところを持っているが、宇宙の自然は自分以外には何も持っていない。しかしここにその(自然の)技術の素晴らしさがあるのであって、自然は自分自身に限られておりながら、その中において腐敗したり、老廃したり、不用になったりしたように思われるものをことごとく自分自身に変化せしめ、これらの物自体から、他の新しいものを創り出すのである。」

・ちょこっと解説

・マルクス曰く、嫌いなものは嫌いと思っていればいい。嫌な上司は嫌な上司のままでいいし、いけ好かない同期は、いけ好かない同期のままでいい。嫌いなものを無理に好きになる必要はない。

・ただし、世界はその嫌いなものを含めての世界である。嫌いな上司も、世界の自然の一部である。いけ好かない同期も同様だ。そのように考えれば、嫌いな上司も、同期も、世界の理が醜く変化した一つの形態ぐらいに考えられるようになる。そうすれば不思議とあいつ等のことを冷静に見れて、そして、心穏やかに接することができるようになるのではないか

・マルクス・アウレリウスの言う自然とは「世の中の理、原理」と考えてみてください。彼は真偽、善悪、快苦、美醜、損得等は、すべて宇宙の自然を稼動させるための重要な要素であると考えていました。

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