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創作の糧(皆様の気になった記事を紹介)

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ライティングや創作のヒントになるような記事。特に再読したい記事をスクラップしています。素晴らしい記事を集めています。ご参考になれば幸いです。
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#コラム

星野くんの「二塁打」/道徳に反して成功した人を評価すべきか

ご存じですかね、星野くんの二塁打。 道徳の授業で取り上げられていたらしいので、ご存じの方も多いかもしれません。わたしの記憶には凄く、薄く。通っていた小学校では取り上げられていなかったか、もしくは道徳の授業が退屈で聞いていなかったかで、どこかで聞いたことあったかもなー、レベルでした。 舞台は旧制中学での甲子園をかけた野球の試合の一幕でして、授業では、監督の指示に従わなかった星野くんは正しいか否か、みたいなことがテーマになることが多いようです。 要約はこんな感じ ・1 R

金曜日の随筆:江戸時代の三俳人

また運命を動かしていく金曜日がやって来ました。2021年のWK26、水無月の肆です。本日は、俳句の歴史をさらっとなぞった後、江戸時代の三俳人について纏めます。 『俳句』になったのは明治時代『俳句』は、季語の含まれた五・七・五(十七語)の定型詩です。『俳』という字には、「こっけいなこと、おどけ。(小学館デジタル大辞泉)」という意味があり、俳句を読む人は『俳人』と呼ばれます。 『俳句』とは「俳諧の発句」の前後を取った略語で、明治時代に正岡子規(1867/10/14-1902/

古典文学に見る季語の源流 第五回「卯の花腐し」「五月雨」

五月号(注:本コラムは結社誌二〇二〇年五月号に掲載)であるが、陰暦ではまだ四月である。そこで、今回は「卯の花腐し(うのはなくたし)」から始めよう。 卯の花は陰暦卯月、今の暦でいえば五月中旬に咲く。その時期に降る長雨を「卯の花腐し」と呼んでいる。卯の花を傷める雨を厭う初夏の季語である。 この表現の歴史は古く、順徳天皇(一一九七~一二四二)による歌論書『八雲御抄』でも、第三巻の「雨」の部に、 卯の花くたし。四、五月。万十に、春されど卯の花くたしと詠めり。 と紹介されている

自分の感受性くらい自分で守ればかものよ。

詩人茨木のり子氏の詩、「自分の感受性くらい」の一節。 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ 初めてこの詩に触れたとき、衝撃を受けた。 自分が鈍くなっていくこと、 ぎすぎすしていくこと、 目指すところと離れていくこと、 すべてを「何か」のせいにするな、という詩。 厳しい… 厳しいけども。 納得。 人のせいにしたり、環境のせいにしたり、時代のせいにしたりして、「仕方がない」って言いがちだけれど。 何を「感じ」て、何を「感じない」かは、自分で選べることなんじゃないだ

掛け算

濁る恐怖に未だに控えめな私は 奥底からやってくる不自然に疑問を持つようになった。 理解出来ない頭の中を撫でて可愛がる。 穏やかな月を眺めていた時私は掛け算をした。 私と月を掛けたくてまた解けない問題に遭遇する。 髪の毛からはネクタイが生えてきて ご満足前の表情を浮かべている。 空気は冷たく人通りの少ないデカイ公園に辿り着いた。 まだ17時なのに上を見上げても下を見下げても暗い。 壮大に緑に囲まれ木からは月の明かりが灯す。 歩いていたら現代の風を感じられる。 さようならと手を振

古典文学に見る季語の源流 第四回「朧月」「朧月夜」

春爛漫の四月号(注:本コラムは結社誌四月号に掲載)である。今回は「朧月(おぼろづき)」を見てみよう。 現存最古の歌集、『万葉集』にはこの語は登場しない。春の月を詠んだ和歌も、 春霞たなびく今日の夕月夜 清く照るらむ高松の野に (巻十、読人しらず) と照り輝く月を詠んでいる。唯一、 うちなびく春を近みか ぬばたまの今夜の月夜霞みたるらむ (巻二十、甘南備伊香(かんなびのいかご)) という歌が、「春が近いために、今夜の月夜は霞んでいるのだろうか」と詠んで、朧月の気配

【創作論】人は物語が好き。作者と作品と批評について。

1920年代には、ニュー・クリティシズムという文学批評思想が流行しました。 当時、芸術作品への批評がまるで作者その人についての批評になってしまうことが多発し、その反発として生まれた潮流だったようです。 ウィキペディアには―― 作品を社会的、歴史的文脈から切り離し、また作者の伝記的事実と結びつけることをせず、純粋に作品そのものに即して論じようとした。 とあります。 つまり、作者ではなく作品に目を向けようということですね。 私も一時はこの考え方に深く共感していました。 記