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『あやうく一生懸命生きるところだった』のここ好きポイント

韓国でベストセラーとのことで、ハ・ワン著『あやうく一生懸命生きるところだった』を読んだので、備忘を兼ねた感想です。
短編エッセイ集の感想なので、ネタバレとか気にする人はいないと思いますが、基本的に自分語りです。ベルサイユのばらのネタバレはあるのでご注意ください。

前回『推し、燃ゆ』の感想を書いたのでちょっとほかの人の感想などを読んでいたのだけど、皆さん基本的に最初に「ネタバレがあるので注意!」「ネタバレ部分をぼかして感想を書いています」などの注意喚起をするのですね。そういうのに頓着しない、というか執着しなくなったのですっかりそういう最初の文言を書いていませんでした。(ので、その反省を踏まえて今回は意味なく前置きを書きました。エッセイ集だからネタバレも何もないよね、って書く意味あるのか……?)

昔はそうでもなくて、中学の頃に図書館で借りてハマっていた『ベルサイユのばら』で、あと1冊で最終巻!といったところですでに読み終わっていた同級生から「オスカル様もう死んだー?」と聞かれたときには彼女の肩をつかんで揺さぶってしまうくらいに反ネタバレの過激派でした。ところが年を経るにつれだんだんと、ネタバレがあっても特に気にすることがなくなり、むしろ自分からWikiを読んでネタバレを踏んだりするくらいには親ネタバレ派になりました。ネタバレしたほうが、盲目的にのめり込まずに物語の奥行きを楽しめていいな~くらいに思っているし、なんなら展開が空転するときのハラハラ感に堪えられなくなっているのでさっさとどうなるかだけ教えてくれ~!と思ってしまいますね。同じ作品を何回も見るようになりましたが、心穏やかに見れるし新たな発見もあるのでこれはこれで面白い嗜み方でオススメです。

ちなみに、上記は完全に蛇足なのでここからが本の感想となります。


ところで、『推し、燃ゆ』ではこんな一節があった。

何もしないでいることが何かをするよりつらいということが、あるのだと思う。

自分が立ち止まっているのに世界が刻々と動き続けるように感ぜられ、自分が取り残されていく感覚は、私も折々で自覚するところだ。
周りはどんどん先へ進んでいくのに、わたしはまだおろおろと一人佇んでいる。という、目もくらむような感覚。

そんな不安感・焦燥感について、この本は諦観にも似た雰囲気で「『何もしない』とは究極の贅沢」とのたまうのだ。
何かをしなければ、成し遂げなければ、と身を焦がすとき、何も為せなくても「すべて自分のために時間を使えた!」と肯定してあげることで助かる魂がある。毎日走り続け、疲れ切ってもなお立ち止まれないとき、そんな自分を許してあげられるヒントを与えてくれるのが、この本の醍醐味だろう。

この本を著したハ・ワン氏は韓国の難関ホンデ美大に合格するために、3浪して死に物狂いで合格を勝ち取ったことを振り返り、これは諦めなければ夢は叶うというサクセスストーリーと読み取るのは見当違いで、「ほかの選択肢はないと妄信してしまうことがいかに愚かであるか」と語る。

執着は目的をぼやけさせる。
ゆえに目的を果たす手段に固執するのではなく、自分はどんな目的のために生きていたいのだろうかと日々反芻する。

自分の行動を俯瞰的に見つめることは大事だ。例えば何かが欲しくて欲しくてたまらないとき、本当に欲しいのはその「モノ」や「コト」なのかを考える。誰かにそれを得るように仕向けられていないか、それを得ることで得られるものは自分の想定したものなのか。

ドリルが欲しいとき、欲しいのはドリルそのものではなく、穴なのだ。


この本を読んでいるとき、結構ミニマリストの考え方に近いなあと感じるところが多かった。例えば、「借金で自分の生活レベルを上げることはただの自己欺瞞」と語るところ。ないならないなりに暮らそう、というマインドだ。

ミニマリズムの考え方をちょっとかじっていたので、他人に自分をよく見せたいとは思わないのだけど(嘘かも、ちょっとくらいは思ってる)、どうにも世の中には借金をしてでも他人からよく見られたい、仮初めの姿を得ようとする人間は少なくないらしい。
ハイクラスの生活を夢見て、様々な特集が組まれ、広告に煽られる。それを得るためにお金が必要だから、自由を切り売りして働き、お金に換える。

韓国の某リゾート地の有名な広告キャッチコピーに「何でもできる自由、何もしない自由」というのがある。
著者は「自分の時間をほしがっていた理由は、何かをしたいからではなく、何もしたくなかったからではないか。」と言っていたが、自由を切り売りして働き、そしてそれで得られたお金を自由を得るために使うのは永久機関的というかマッチポンプというか。それこそ、「これがわたしの(あなたの)ほしかったものなのか」という感じではある。
何のために一生懸命になるのか、ということを今一度見つめなおしたいなあと思わせる一節だ。

著者は村上春樹の『風の歌を聴け』を読んで、最初はその展開に反発しつつも「努力は必ず報われるわけではない」との感想を抱いたそうだ。私は村上春樹作品は一つも読んだことがないので当然その作品も読んでいないのだが、確かに人生の状況すべては「努力」に上回る「運」というか「縁」というか「巡り合わせ」の要素は無視できないほどに大きい。

この本の中で、82P『人生は「答え」より「リアクション」が重要な試験』という項が一番好きなところであった。
イザベル・ユペール主演の映画『ELLE』を観て、出来事が必死の努力や執念で解決するのではなく、ちょっとしたアクションで問題が生きて自然と解決するように見えたのが印象的だったそうだ。そしてそれは人生の本質的ではないか、と。
そこから得られる教訓としては、

深刻になりすぎる必要はない。
毎度毎度、真摯に向きあわなくてもいい。
答えを探す必要はもっとない。
人生は「答え」より「リアクション」が重要な試験

Netflixで『ELLE』が配信されていたので、近々観ようと思う。(余力があれば感想も書こうかな。)


一生懸命に生きなくていいんだ、と思う作品でありました。
また考え方として、自分と世間一般の境界線の引き方とか、アドラー心理学を汲む『嫌われる勇気』あたりにお話としてつながりそうだなーと思います。

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