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note始めました!自己紹介。

スォスダイ!(こんにちは!)
カンボジアからNPO法人earth tree(現・一社Kisso)代表のかでです!

現在はカンボジアが世界に誇る遺産

『アンコールワット』

がある町シェムリアップで生活し、郊外にあるトロペアントム村を中心に働ける環境、学べる環境作りをおこなっています。

現在に至るきっかけ

僕は20歳から27歳まで整体師として整形外科で働いていました。

『先生ありがとう』

と毎日患者さんから言ってもらえる仕事は天職とも感じていましたが、

『100万円あったら世界中を旅できる』

ということを知ってしまった瞬間からワクワクが止まらなくなり、

『人生一度っきり!この地球に生まれたからには自分の目で見て、足で歩いて、世界中の人や景色と出会ってみたい』

と思い、仕事を辞め世界一周の旅に向けて動き始めていました。

飛行機の中から見えた富士山

世界一周の旅の準備旅として選んだ国カンボジア

27年間日本しか知らなかった自分が、ドキドキしながら初めて降り立った国がカンボジアでした。

飛行機の扉を抜けた瞬間にムワッとした暑さが身体を包み込み、
空港から出た瞬間にブワッと押し寄せるドライバーさん達。

これが海外ってやつなのか!!!

人生の新しい扉を開けたような感覚でした。

簡単に命が失われる世界

首都のプノンペンからアンコールワットがある町シェムリアップへ移動して数日経った頃、仲良くなったドライバーさん達とゲストハウスの下で一緒にお酒を飲むことに。

みんなと飲むのが大好きだった僕にとって海外の人とお酒を飲めるというのはある意味の目標が叶った瞬間でもありました。

言葉はわからなくても、笑顔と

『チョルモイ!』(乾杯!)

という一言でずっと笑っていた時間でした。

その時一緒に飲む予定だったドライバーさんが、

『今日はちょっと調子が悪いから帰るね』

と帰っていったのですが、そのドライバーさんはその日の夜中に亡くなってしまいました。

まだ28歳、原因はわからないとのこと。
最近結婚して、奥さんのお腹の中に子どもができたこともわかりとても喜んでいた矢先の出来事でした。

話しを聞いてみるとゲストハウスのドライバーの仕事でもらえるお給料だけでは子どもを育てるのは難しいから、夜は流しのドライバーとして町に毎日出て仕事をしていたらしく、調子がすぐれないのは1週間ぐらい前からわかっていたけど、病院に行くとお金もかかるし、、、

と我慢しながら仕事を続けていたとの話し。

数日後、多分マラリアだったんじゃないかな。との一言。

ドライバーさん達はとても悲しい様子で毎日元気がなかったのを覚えています。

同じ時代に生まれたけど、生まれた場所が違っただけ。
日本に生まれていればきっと助かった命だっただろう。

そんな気持ちを持ち、後ろ髪引かれれるような思いで日本に帰国しました。

大好きになった人たちがいる国が出来た。
自分にできることはないだろうか?

家族、大切な友人など身近な人が困っていたら何かしてあげたい。
そう思う気持ちはみんな一緒だと思う。

それと同じ感覚になった。

2回目のカンボジア渡航で出会った伊藤さん。
伊藤さんは孤児院に関わっている方だったが、話しを聞いてみると孤児院に関わる前には学校を建設していて、自分のお金を使って学校を3校建設してきたとのことだった。

シンプルにすごい人がいるなぁ。

と思ったと同時に、自分が学校を建設したことを想像してみたら、
そこには沢山の笑顔が見えて、日本に生まれることの出来た自分ができることが明確になった。

こうして、僕たちは学校を建設して、建設した学校を通して好きになった国と一生付き合っていくということを決めたのでした。

伊藤さんと出会った孤児院での1コマ
とても元気いっぱいの子ども達に触れ合って学校建設を決めました


あれから16年。

あれから気がつけば16年の歳月が流れ、小学校の他にも幼稚園も建設でき、さらには自分たちの活動から、僕も私も学校を建設したいんです!

と手を挙げてくれた人たちを微力ながらサポートしていくことで10校の校舎が完成した。

もちろんその学校建設の中心になっていたのは、各学校建設のリーダーたち。

そんな人たちが生まれてきてくれたことが自分達にとっては何より嬉しいこと。

現在、着工している竹建築で建設しているSDGsエコビレッジもきっとこれから生まれてくるリーダー達に対しても一つの道標になるんじゃないかな。

と想像しています。

次回はSDGsエコビレッジについて書きたいと思います。



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