【息ぬき音楽エッセイvol.6】David Bowieと大島弓子 by 村松社長
みなさまこんにちは。カロワークスの村松社長です。
気づけば何ということでしょう、2020年も残すところあと2ヶ月もありません。そしていきなり社内事情を暴露しますが、今年も無事に、しかもやや大きめに迫ってまいりました、繁忙期というやつが。
「忙しさが極まった時にnoteは続けられるのか」という、noteを始めたときから恐れていた時期に突入するわけですが、10月20日現在、かろうじて嵐の前の静けさというところ。皆さま、ぜひ今後の弊社noteにご注目ください。
というわけで(?)、今回は繁忙期前の心を鎮めるべく、自分にとっての神様みたいな2人をご紹介したいと思います。
推しよ、私たちをお護りください。
まず一人目の神様は、David Bowie様です。
もう説明は不要でしょうが一応言いますね、1947年に生まれ、2016年に亡くなったイギリスのミュージシャンであり俳優です。
ボウイ様が亡くなった時、自分の中のなにか大切なものが消えてしまったような、そんな気持ちになりました。(ボウイ様の衣装を長年作られていた山本寛斎さんも今年お亡くなりになりましたね…。悲しいです)
2017年に寺田倉庫で行われた大回顧展「DAVID BOWIE is」はもちろん行きましたが、知れば知るほどボウイ様にはたくさんの顔があって、時代とともに変化し続けた人だったんだなと感じます。
その存在自体が光り輝いているので音楽を語ることを忘れがちなんですが、デモやライブ音源がたくさん出ていて、個人的にはそちらを聴くのが好きだったりします。
例えば昨年発売された1969年録音のデモ音源集「The ‘Mercury’ Demos」の中から、こちら。ボウイ様の声が秋の空に染み渡っていくようです…。
実を言うと私がボウイ様を知ったのは遅く、大学生くらいの時期でした。当時ちょっとだけグラムロックブームの再燃があって(映画『ベルベット・ゴールドマイン』とか)T-Rexなどとともに聴くようになったわけですが、音楽の趣味的にはそこからその後Brian Eno→Dieter Moebius→クラウトロック/プログレ、みたいな方向へ…。
ところがだいぶ後になって、もっと小さい頃にボウイ様と出会っていたという事実が判明したんですよ。
幼少期、自宅によく観るビデオテープ・ライブラリーがあって、ドラえもん映画などと並んでヘビロテしていた映画『ラビリンス』。
この中で主人公の弟を連れ去ってしまう悪いヤツ、ゴブリンの魔王ジャレスを演じていたのがボウイ様だったのです…。
幼心に「なぜこの悪役はこんなにセクシーに描かれているのか」と謎に思っていた理由が明らかになりました。
思えば幼少期から私はずっとボウイ様の手の平にいたようなものです。
さてここで、もう一人の神様をご紹介します。大島弓子様です。
こちらも説明は不要ですよね、でもしつこく言いますと、1947年生まれの日本の漫画家です。
ここでお気づきになられた方もいると思いますが、ボウイ様と大島弓子様、生まれた年が同じです。実は私もいま知りました。今回この2人を取り上げたのは全くの偶然です。
私の中の2人の共通点は、同じく大学生の頃に知ったということ。しかも同じように、周りから「なんで読んだこと(聴いたこと)ないの?絶対好きだよ!」と言われ続けて。
大島弓子様との出会いは、2006年に書かれた川上未映子さんのこの日記がほとんどそのまま言い当てている上に、とても良い文章なのでぜひご一読ください。
私の場合、最初に読んだのは『F(フロイト)式蘭丸』という作品でしたが、同じように「口のなかから巨大な熱い円錐の何かが出てくるみたい」な気持ちになりました。
大島弓子様がデヴィッド・ボウイ様のファンであったことは広く知られていて、作品の中にもボウイ様を思わせる(もしくは直接的に表現している)キャラクターがたびたび登場します。
マイ本棚から少し集めてみました。どの作品から抜き出したかわかるあなたは、なかなかの信者です。
中でも『ヒーヒズヒム』(1978年)はまさにボウイ様をモデルにしたと思われるミュージシャンを主題にした作品。
17歳になった記念に初めて前髪を分けてみた主人公の冬彦は、今をときめくミュージシャン「ピーター・ピンクコート」にそっくり!と学校中の話題になる。
帰宅後、同じくピンクコートファンの姉が額に星を描いたら、まさにそのまま。
密かに想いを寄せている女の子もピンクコートのファンということもあり、家でも学校でもピンクコートとして振る舞うようになる冬彦…。
そこから、誰の代わりでもない「冬彦」という自我を取り戻すまでのお話が描かれています。
言うまでもなく、ボウイ様が「もうひとりの自分」である「ジギー・スターダスト」というキャラクターを作り上げ、演じたことにも通じる物語ですね。
他にもたくさんの素晴らしい作品があるので一つ一つ挙げているとキリがないのですが、全作品を通して自己と他者、性別、生死、人間と動物といったものの境界が揺らぐ瞬間が印象的です。
そして川上未映子さんも書かれていた通り、「読んだ人をひとり残らず抱きしめる」ような、まさに神様のような眼差しを感じます。
さて、今回は2人の神様がいかに神様たるかを説明するという、完全にセルフヒーリングな回でしたが、いかがでしたでしょうか。皆さまもぜひ季節の変わり目や繁忙期前には、推しにすがってみることをお勧めいたします。
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