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複雑決定素・虚軸の世界その1

わたしたちに自由意志はあるのだろうか?

自由意志が機械によって全ての人に等しく計算されることはまず有り得ない。それは自由意志の否定になってはいない。では個人に当てはめてもみようが、それはわたしたち人間の領域とは少し異なる。自己領域は完全に計算できるが、問題はそれを合計で見た時の作用である。入力の値を決定する外部影響が完璧な数式で再現することができないのは、もはや自明の理だ。常軌を逸脱した支配因子がない、ならばここに個人関数を単純に拡大させたような私たちとしての自由意志は存在しないことが火を見るよりも明らかになった。従って複雑系が生まれてくる。その世界に私たちは生きている。肥大化した複雑から真理を導こうとしても、奇跡としか思えない。しかし、複雑の枝葉は単純で、ひいては全てが枝葉だと考えることが可能である今、人間の捉えられる限りでは○✕のような二元的世界での判定にしか過ぎないのである。そしてそれを決めたのは飽くまで確率を超越した反対方向の世界が考えられるが、また人間のような生命に考えられる領域は限りがあることの裏返しだが、私に自由意志はなくても、広く言えば世界にはパラレルがある。というだけで、全く理不尽この上ない必然の確率など、計算するのも馬鹿馬鹿しい。いわゆる数学も国語も出来ないような誰かが考えたリアルには不必要な代物だが、もし応用するとしたら虚の世界だと思って組み立てると、結果面白い世界が広がっているかもしれない。と、感じた今日このごろである。

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