見出し画像

ポジティブ不登校だった私


「高校、あまり行っていなかったんだよね」


そう言うと、大抵の人に驚かれる。


不登校というとイジメだとか、ネガティブで陰湿なイメージが連想されるのは、わからなくもない。


だけど私の場合はイジメや人間関係の問題があったわけではなかった。それだけは確実に言える。学校に行けば一緒に過ごす友達がいたし、そこそこ強い吹奏楽部にも所属して練習にも行っていた。


そんな状況の中で、学校に行かなくなってしまったのはなぜなのか。


今まで誰にも話したことのない、当時の自分の気持ちを今ここで振り返ってみたいと思う。



中学の頃は、インフルエンザとはんだごてで手を大火傷した時以外は学校を休んだことがないくらいの優等生だった。部活動の朝練にも毎日行っていたし、自主練だって行っていた。それが当たり前だった。


勉強もスポーツも音楽も中の上か上の下くらいにはできたので、成績も公立中学では上位の方で高校は県立の進学校に入学できた。


けれどその進学校では、私は頭の良くない方だった。


定期テストは赤点オンパレード。元々苦手だった数学は補修に次ぐ再補習。あっという間に落ちこぼれていった。


今考えてみると、中学までは週2で塾に通っていて5科目先取りで教えてもらっていたから学校の勉強が全て復習だったが、高校では塾に行かなかったので初めて教えてもらうことばかりだった。


元々地頭がいいわけでもなく、自主的に勉強をするタイプでもない私がこれまでの勉強についていけていたのは全て塾のおかげだったようだ。


今となっては冷静に分析することができるが、当時の私は大混乱だった。
なにせ生まれて初めての出来事だったから。


最初の方は「悔しい。頑張らなきゃ」と思ったりもして帰りのバスで定期テストの答案用紙を握りしめて泣いたりもした。



でも、頑張ることも早々にあきらめてしまった。


あきらめる方が簡単だったし、気持ちが楽だった。


あまり覚えていないけれど、不登校になり始めたのはこの頃から。


”不登校”と言っても完全に学校に行かないわけではなくて、午後から行ったり、放課後の部活だけ行ったり自由気ままな不登校生活を送っていた。


朝は普通に起きて「今日は学校行こうかな〜」なんて思いながら、身支度をして駅まで行って「やっぱり午後から行こう」となって美味しいパン屋で本を読みながら過ごす。


駅のパン屋は完全に行きつけになっていて、そこの塩パンが大好きだった。今までメロンパンやあんぱんなどオーソドックスなパンしか食べたことがなかったけど、もっちりしたバターの生地に塩がふりかけられた塩パンは絶品だった。書いていて、今すぐ食べたくなってきた。


勉強も完全に捨てたわけではなく、午前中にパン屋のがら空きのカフェコーナーで最低限のテスト勉強や、比較的得意な英語の勉強だけは考書を使いながら勉強していた。


友達は幸いにも心が優しい人たちが多く、放課後に行った私に「おはよう〜遅いぞ!」と言いながらも午前の授業で出た課題の内容を伝えてくれたり、数学のわからないところを丁寧に教えてくれた。


授業はあまりに出ないと普通に単位を落とすので、留年しなくて済むギリギリの回数を数えて各授業管理をするようにしていた。


ただその管理さえも、大雑把な私による煩雑なものだったので、一度化学の授業と体育の授業の単位を落としそうになり留年の危機が迫った。このことで職員室に怖い体育の先生に謝りに行き、その後体育の先生たちによる協議が行われ、「体育の授業1回くらいで留年なんて可哀想だ」という一部の先生の心優しい計らいにより免除になったそうだ。


この時のことは今思い出してもお腹がキリキリするので正直言って、あまり思い出したくない。あの時、助け舟を出してくれた体育の先生よありがとう。あなたの人生に今後良いことが起こり続けますように。



もう1つの留年の危機の種であった化学はといえば、先生のプリント刷りを手伝うことで免除された。こんなので免除になるのなら、もう1回授業休んでおけばよかったと当時の心底生意気な私は思ったのだった。


そのようにして留年の危機を免れて行ったり行かなかったりぼんやり過ごしていた高校は、なんだかんだでそこそこ楽しかった。


3年生にもなると、私以外にも受験の都合で休む人も増えていきより自由になっていった。


もちろん、親に学校に行っていないことがバレた時はものすごく怒られた。


喧嘩にもなったし担任には「学校に来い」と常日頃から言われ迷惑をかけたことを申し訳ないなと思いつつ、私は気ままに不登校生活を楽しんでいた。


あの時バスで泣いていたボロボロの心の高校1年生の私を守る、私なりの方法がこの”不登校”だったのだ。自分で選択した、ポジティブな不登校だった。


「もう少し高校に行ってもよかったかな」なんてたまに頭によぎったりもするが、きっとそれは当時の私には難しいことだったのだろう。


その後大学にも行き、今は学校に真面目に通ってきたような人たちがたくさんいる会社で社会人を頑張れている。



私の人生は、こんな感じでいいのだ。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?